引き続き高山市街の観光です。

市政記念館

 
市政記念館

 昼食後は高山市政記念館を見学しました。
 市政記念館は明治28年(1895年)に高山町役場として建てられました。木造2階建て入母屋造り瓦葺きで、 当時の民家を大型化したような外観です。 昭和43年(1968年)の高山市役所新庁舎完成後は公民館になり、昭和61年(1986年)から市政記念館として公開されています。

 
市議会の議場

 2階は市議会の議場でした。写真にはありませんが、かつて市役所で使われた事務機器も展示されています。ワープロやパソコンまであります。

 
市議会議場の格天井

 2階の天井は端が丸く下がった格天井です。

 
人口増加抑制を呼び掛けるリーフレット

 1階の展示室にこんな物がありました。昭和28年(1953年)に発行された、人口増加の抑制を呼び掛けるリーフレットです。第一次ベビーブームの後ですね。

 
家具調テレビ

 これは展示物かどうか未確認ですが、家具調テレビが置いてありました。こういう物もそろそろ博物館入りでしょうか。

 

高山陣屋

高山陣屋

 最後は高山陣屋の見学です。
 高山陣屋は幕府の直轄領だった飛騨の郡代所で、現代風に言うと県庁、知事公邸、警察署、裁判所の機能を併せ持ち、 年貢米を収める蔵もあります。
 明治に入ると高山県庁舎として使用され、何と昭和44年(1969年)まで岐阜県の事務所がここに置かれていたそうです。

 
高山陣屋の御白洲

 一般庶民の容疑者を吟味する御白洲です。中央の責台に正座させ、右の抱石を抱かせて自白を強要します。凸凹の上に座らされ、計120kgの石を膝に乗せられれば、実際はやっていなくても「やりました」と言ってしまいそうです。
 足利事件の取り調べでも、「俺のネクタイの色は何色だ」などと事件と無関係の物について質問し、その回答を証言とするなどの誘導尋問が問題になっていますが、有罪にするための回答を無理矢理にでも引き出すという点は江戸時代から変わっていないようです。

 

 そろそろ高山を後にして金沢へ向かいましょう。


その1 東京から高山へ

その2 櫻山八幡宮 その3 古い街並み その4 市政記念館・高山陣屋

その5 高山から金沢へ

その6 にし茶屋街ほか その7 鶴来 その8 長町武家屋敷跡・尾山神社・ひがし茶屋街

その9 金沢から東京へ


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