ちょっと上野駅を離れてみましょう。この辺から安物レンズの画質の悪さがますます際立ってきますがご勘弁を。弘法は筆を選ばずとはいいますが、ここまでひどいと本当にレンズのせいで写真が下手に見えます。実際、翌年にレンズを買い換えたら急に上達したような錯覚を覚えました。
田端運転所では、午後になるとヘッドマークを付けて待機するブルートレインの機関車が見られました。写真は上野と青森を山形、秋田経由で結んでいた「あけぼの」のEF65形1000番台です。
EF65は近年老朽化のため廃車が進行しています。この1017号機も既にありません。
隣の尾久客車区(現・尾久車輌センター)ではブルートレインの客車が待機しています。写真は北斗星の車輌です。
上野駅を発車し、鶯谷付近を走る北斗星1号です。
同じく鶯谷付近を走る北斗星です。
真っ暗闇の中を走る列車を撮るなんて随分と無茶な撮影です。若かったんですね。
EF81形の95号機は昭和62(1987)年から、団体貸し切りや臨時列車用の特別車輌「スーパーエクスプレスレインボー」用に塗装を変更しました。鮮やかな赤と白、黒で塗り分けた車体の側面に「EF81」と大書し、まだ他のEF81がくすんだピンクのままだった当時はかなり目立っていました。本来の仕事であるはずのスーパーエクスプレスレインボー牽引はそっちのけで他の列車に使われることも珍しくなかったようです。
スーパーエクスプレスレインボーは平成12(2000)年に引退しましたが、この95号機はそのままの塗装で残り、今も時折北斗星に使われています。写真は運転初日の北斗星1号です。
日暮里を通過する北斗星1号です。
バブル崩壊後も衰えを見せなかった北斗星ですが、近年は他のブルートレインと同様縮小傾向にあり、平成20(2008)年からは定期運行が1往復だけになってしまいました。
日暮里を通る頃はまだ夕方です。寝るには早過ぎる時間で、B寝台の通路の椅子に腰掛けている人もいます。
583系です。昭和63年頃は上野-青森間の寝台特急に使われており、東北本線経由の「はくつる」と、常磐線経由の「ゆうづる」がありました。元来は昼行・夜行兼用電車ですが、昭和57(1982)年に東北新幹線ができてからは、上野では夜間と早朝にしか見られなくなっていました。
写真は団体貸し切り列車で、珍しく夕方のまだ明るい時間に上野近辺に姿を見せました。
583系のカラー写真がないので、少し後の時代に撮ったものをお見せします。朝の上野駅で、青森から走ってきた「ゆうづる」が2本並びました。
583系のデビューは昭和43(1968)年です。既に製造から40年を経ていますが、少数が臨時列車用に残され、現在もたまに上野駅で見ることができます。
当時ヨドバシカメラでは、通常の物より安いモノクロフィルムを売っていました。恐らく長いまま販売される割安のフィルムを店で36枚分に切って売っていたのだと思います。このフィルムで撮って、現像も自分でやってコストを抑えました。高校生でしたからね。