富士に乗車
今度は下りの「富士」に乗ります。廃止まであと数日。東京駅9・10番ホームはこの日も多くの人で賑わっていました。
私の席はB寝台下段。私は煙草を吸わないのですが、取れた切符は残念ながら喫煙車です。向かいの席は明らかに鉄道ファンの若い男性で、ベッドに荷物を置いてカーテンを閉めるとそのままどこかへ行ってしまい、なかなか戻ってきませんでした。
途中から向かいの上段に年配の男性が乗ってきました。「大人の休日倶楽部」の割引サービスを利用して九州へ気ままな1人旅だそうです。私の横に座ってもらってしばし雑談を楽しみました。
3月1日から廃止まで東京駅では記念グッズと記念弁当の販売が行われました。記念グッズは「富士・はやぶさ」の車内でも買えました。
「さよなら寝台特急富士★はやぶさ記念弁当」です。「富士・はやぶさ」が走る地域の名物が詰められています。その内容は‥‥
・ベッタラ漬け(東京)
・シューマイ(横浜)
・抹茶わらび餅(静岡)
・味噌カツ(名古屋)
・豆腐と湯葉の揚げ煮(京都)
・たこ焼き(大阪)
・有頭海老素揚(山口)
・高菜炒め(福岡)
・からし蓮根(熊本)
・椎茸煮(大分)
さらに玉子焼、菜の花お浸し、人参煮が入っています。そして、富士山形の仕切に黒米を詰め、カニフレークの雪とはやぶさ形人参を添えた「富士・はやぶさご飯」です。箸袋もブルートレインをイメージした青地に白線入りです。こういうのは普段からやって欲しいですね。
翌朝、向かいの上段の男性が通路の折り畳み椅子で煙草を吸っていると、禁煙車に乗っているという若い男性から写真を撮らせて欲しいと頼まれました。特急も全車禁煙が普通になった昨今、若い人には喫煙車も珍しいのでしょう。
向かいの上段の人は小倉で降りていきました。私の上はとうとう大分まで空席でした。
大分に着いた日は、上りの「富士」を東別府駅の近くで撮ることにしました。居合わせた年配の男性と列車が来るまで雑談していました。その人の話では、大分駅も撮影する人が多くなり、駅員も「富士」が発車する時はピリピリしているそうです。しかし「富士」の車内から見る限りでは沿線で撮影する人はわずかでした。
その男性は地元の人で、昭和40年代に東京の大学に通っていたそうです。その頃の航空運賃は高く、新幹線はまだ新大阪まででした。大学生が東京と別府の間を行き来する手段は「富士しかなかった」と言っていました。
撮影後、別府から乗った特急「ソニック」が中津駅で「富士」を追い越し、行橋駅で再び撮影できました。
行橋駅へ向かう下り「富士」です。この辺りは線路が南北に通り、東側が農地になっています。午前中の列車は撮りやすいのですが、この日にここで「富士」を撮影した人は私を含めて3、4人でした。
下関駅で機関車を付け替え、関門トンネルへ向かう「富士・はやぶさ」です。ピーク時の1974年頃には1日に24往復もの寝台特急が関門トンネルを通って本州と九州の間を行き来していましたが、この「富士・はやぶさ」を最後に全て廃止されました。
仕事の都合で帰りは飛行機でした。
いよいよダイヤ改正の日。前の日の夕方九州を出発した「富士・はやぶさ」の最終列車は、人身事故や強風の影響で大幅に遅れて横浜駅に到着しました。横浜駅のホームにも多くの人がこの列車の最後の姿を見届けに来たようです。
東京駅には約1時間半の遅れで到着。出迎えた人は2000人にも上ったといいます。
これで、1956年11月以来52年半続いた東京-九州間の夜行特急の歴史に幕が下ろされました。
次は「富士・はやぶさ」の車内をご覧ください。