2011年5月23日
あの人の眼鏡
職場でちょっと気になる事があったので非番の夜に行ってみました。
その夜は私と仲の良い人が、珍しく眼鏡を掛けて仕事をしていました。
家で眼鏡を掛ける事があるのは本人から聞いて知っていましたが、
実際に掛けたところを見るのは初めてでした。
細い横長の、黒くて角張ったデザインで、
フレームの裏側は赤く塗られています。
その眼鏡を掛け、少し背を丸めて事務所の床をコロコロで掃除する姿に、
私はレレレのおじさんに匹敵する程の面白さを感じてしまいました。
失礼とは思いましたが、この感情は封印できません。
「その眼鏡でコロコロを持っていると
漫画のキャラクターみたいで面白いんだけど‥‥」
と言ってみたところ、
「眼鏡を掛けていると何かのキャラクターみたいだってよく言われるんですよ」
と、苦笑しながらも特に怒った様子もなく答えてくれました。
真横よりやや前方から見ると、眼鏡の奥にある目が太いつるに隠れ、
よりフレームの印象が強烈になります。
正面から見ると、目がはっきり見えるせいか、
はたまたレンズの縁が細くて眼鏡の印象が薄くなるせいか、
いつも通りの印象です。
見る角度によって感じが変わるのが面白くて、私はその人の顔をずっと見続け、
しまいには写真を撮らせろと携帯電話を取り出す始末。
それでも嫌な顔もせず、私の言う方に顔を向けて1枚撮らせてくれました。
その後、廊下の掃除をしながら雑談をしました。
「掃除するならスーツじゃなくて短パンにビーサンで仕事したいですよ」
「上はブラウスにジャケットなら、私背が低いから
フロントのカウンター越しに下半身見えないと思うんですよね」
「夜中は暇なんで完全に掃除のおばさんですよ」
などと、眼鏡だけでなく言う事も色々面白いので、
こっちもつい「掃除のおばさんは頭に三角巾だよね」などと言ってしまいます。
すると向こうも
「上がスーツで下は短パンにビーサン、しかも頭に三角巾じゃ完全に変質者ですね」
と応じてくれました。
事務所に戻ってからも私の「観察」は続きました。
そして「ごめん、あの後もずっと見ていた」とだめ押ししてから別れました。
後で考えるとさすがに度が過ぎたと思い、次に会った時に謝っておきました。
「この間はごめんね」
「何がですか」
「眼鏡の事面白いとか言っちゃって」
「あ、いいですよ別に」
先方は全く気にしていないようでした。
しかしそれでも、私の携帯電話の待ち受け画面が
眼鏡を掛けたその人の写真になっている事は告白できませんでした。
2009年1月12日
社長K氏の思惑
K氏は中小企業の経営者です。
誰もが知っている大企業H社の下請けをしています。
従業員は180人程ですが、
K氏はほぼ全員の顔と名前、性格を把握しています。
ある時K氏は、事業拡張と欠員補充のためアルバイトを募集しました。
採用した人たちにはまず3箇月程で終わる仕事を与えて様子を見ました。
多くの人はその後もK氏の会社に残り、やがて1年が経過しました。
アルバイトと言っても、8時間勤務で休日は年間120日余り。
これ以上アルバイト契約のままで雇い続けることはできません。
しかし、アルバイトの人たちを社員にしてしまうと、
例え契約社員でも、年金や保険など様々な出費が新たに必要です。
かと言って、長期間フルタイムで働き続ける人をパートにはできません。
そこでK氏は一策を講じ、アルバイトの人たちを名目上個人事業主にしました。
こうすれば、給与と交通費と健康診断だけで済みます。
賞与も必要ありません。
給与も「作業料」という名目で、振込手数料を「事業主」に負担させました。
そうやってアルバイトから個人事業主になった人たちの中に、
X君という男性がいました。
K氏とはちょうど親子くらいの年齢差がありました。
個人事業主になって1年、まだ当分K氏の会社で働き続けてくれそうなX君を、
K氏は別の部署へ異動させました。
今度の仕事は今までより複雑で、たまには深夜までの残業もありました。
それから1年近くが過ぎ、X君が突然退職したいと言ってきました。
理由を聞くと、このままK氏の会社に長くいても希望が持てないから
他の会社で働きたいと言います。
しかも、既に転職先は決まっていて、
先方の社長がX君の退職を待っているとまで言います。
さらに聞くと、もう随分前から、
休日にはその転職先の仕事をしていたのだとか。
X君は勤め先に無断で就職活動と副業をして、
転職の準備を勝手に進めてしまってから、突然退職したいと言い出しました。
こんなやり方は感心できません。
しかし、K氏は被害者でしょうか。
X君は個人事業主ですから、K氏の会社の社員ではありません。
就業時間外に何をしようと、いちいちK氏の許可を取る必要はありません。
長く使うつもりの従業員なのに、
経費をケチるために名前だけ個人事業主にした結果、
それを逆手に取られたのですからお互い様、どっちもどっちです。
X君の契約書は、契約期間が空欄になっていました。
X君がそれについて質問すると、契約期間は特に定めないが
基本的には毎年4月の年度初めに更改すると回答していました。
何かあったらいつでも解雇できるようにしてあったのでしょうか。
その結果、2月一杯という面倒なタイミングでX君の退職を認めることになり、
春の人事異動に先駆けて大急ぎでX君の代わりを探さねばなりませんでした。
今は、仕事に就けなくて困っている人がたくさんいます。
しかし若い世代に目を向けてみると、少子化で私学が経営難に陥っています。
近い将来、企業の人事にもその影響が及ぶことは必至です。
自社の社員ではないからと派遣労働者の使い捨てなどしていると、
仕事が、そして企業が労働者に使い捨てられる時代が
いつか来るかも知れません。
2008年7月 7日
星の時間 人の時間
妹夫婦は今日から新婚旅行らしいです。
婚姻届は去年の2月14日に出したと言っていました。
バレンタインデーに結婚して七夕に新婚旅行ですか。
七夕と言えば、織女星と牽牛星の伝説です。
織姫と夏彦が結婚したら夫婦生活が楽しくて働かなくなったから、
引き離されて年に1度しか会えなくなったというあの話です。
夫婦なのに1年に1回しか会えなかったら悲しいですね。
しかし、よく考えてみると、そうでもないかもしれません。
「ゾウの時間 ネズミの時間」という本によれば、
動物の寿命はだいたい体重の4分の1乗に比例するそうです。
そして、小さな動物ほど心臓の動きが速く、
哺乳類の一生の間の心拍数は、寿命の長短に関係なく、
だいたい20億回くらいなのだとか。
著者はこの本の中で、一生を生き抜く感覚は、
寿命の長さに関係なくどの動物も同じなのではないかと述べています。
ただし、人の場合はちょっと法則から外れるそうです。
また、恒星の寿命はだいたい質量の3乗に反比例すると言われており、
動物とは逆に重い方が短命です。
だから単純には比較できませんが、もし比べたらどうでしょう。
太陽の寿命は100億年と言われています。
織姫すなわちベガの質量は太陽の2.6倍ですから、
100億を2.6の3乗で割るとだいたい寿命は5.7億年という事になります。
同様に、夏彦すなわちアルタイルの寿命は20億年です。
人の一生は80年として、だいたい25億秒くらいです。
星の1年が人のどのくらいに当たるかは、
ベガの数値で計算すれば約4.4秒、アルタイルでは約1.3秒になります。
適度な距離を保ちつつ、ずっと一緒にいるために、
織女星と牽牛星の伝説にあやかって
7月7日を結婚記念日にするのも良さそうです。
2008年3月27日
神の力
大阪市にある「大阪暮らしの今昔館」を見学しました。
この施設は「大阪市立住まい情報センター」というビルの
8階から10階に入っています。
ビルはちょうど商店街の入り口に建っており、
8階から見下ろすと、アーケードがどこまでも続いているのが見えます。
その日私は夕方まで暇だったので、ちょっと歩いてみることにしました。
この商店街は「天神橋商店街」といいます。
後で調べたら、長さ2.6キロメートル、
店舗数600店の日本一長い商店街だそうです。
南北に長い商店街の北の端、地下鉄の天神橋筋六丁目駅の所から
南へ向かって歩いて行きました。
長い長いアーケードを地下鉄で2駅分歩いた先で、大阪天満宮の脇を通ります。
せっかくなのでお参りして行きましょう。
大阪天満宮本殿
しかし、何をお願いしたらいいのでしょう。
今更学業成就でもありません。(むしろ諦めた)
授与所を見ると、安産とか金運とか交通安全とか
色々なお守りを売っているようなので、
基本的には何をお願いしてもいいのでしょう。
だからと言って、旅先でそう都合良く願い事など持ち合わせていません。
だいたい神頼みというものは、まず自分で努力をして、
それでもどうにもならない部分の解決をお願いするものです。
私は今、そこまで困っている事は‥‥
そう言えば今、好きな人との仲が険悪になっています。
もちろん、仲直りできる方法を自分で模索していますが、
ここはひとつ神様にも和解をお願いしておきましょう。
お参りを終えてアーケードに戻りつつ、
お願いをするのは義務ではないのだから、
ただ賽銭箱に小銭を入れて手を合わせるだけでも良かった‥‥
などと考えていたら、重要な事を思い出しました。
高校受験の時、中学の担任の先生がクラスのみんなに代わって
どこかの有名な天神様に合格祈願のお参りに行きました。
もちろん結果は人それぞれでしたが、
無事合格した者は各自近くの天神様にお礼参りに行くように言われました。
しかし、その頃の私はこういう事にいちいち腹を立てていた時期で、
しかも神仏を一切信じなかったため、
志望校に合格したにもかかわらずお参りに行きませんでした。
いくら天神様にお願いしたって実力の及ばない学校には入れません。
私が努力したからこそ入れたのです。
死後、朝廷に数々の祟りをもたらしたという逸話からも想像できますが、
菅原道真という人は結構根に持つタイプのようです。
残念ながら私の高校時代の学校の成績は芳しくありませんでした。
もちろん、私がさらに腹を立てた事は言うまでもありません。
合格は自分の力、成績不振は神の所為とは、
我ながら何とも理不尽なものですね。
ところで、2月25日は天神様のお祭りです。
男の子のいる家庭では、これに合わせて
2月中旬頃から天神様の人形を飾る風習があります。
言わば「男の子のための雛人形」なのですが、
私の住む関東地方ではあまり普及していないようです。
私が天神様と仲が悪いのを面白がって、それを母が出しておいたら、
何かの拍子に私がぶつかって、
首がすっこ抜けて頭がゴミ箱に突入したことがありました。
そんなこんなで私と天神様は昔から相性が悪いのですが、
そんな事はお参りが終わるまですっかり忘れていました。
まあいいです。今更「さっきのお参り取り消し!」なんて言えません。
これを以て勝手に和解とします。
菅原さん、これからは仲良くしましょう。
翌日、私は愛知県の明治村に行きました。
明治村の保存建築物の一つ「宇治山田郵便局」は、
それ自体が展示物であり、内部が展示室であると同時に、
明治村簡易郵便局の局舎でもあります。
私はよくここから友人に手紙を出します。
今回は、天満宮で仲直りをお願いした友人に手紙を書き、
少し遅れましたがホワイトデーのプレゼントを添えて発送しました。
明治村の宇治山田郵便局
数日後、彼女から手紙が届きました。
いつもは忙しいからとメールの返事もなかなかくれない彼女が、
大急ぎで、結構長い手紙を書いてくれました。
読んでみると、プレゼントは受け取りを拒否しようと思ったけど、
もし手紙が入っているなら読むべきだと思い受け取ってくれたようです。
彼女はちゃんと手紙を読んでくれました。
私も手紙を読んで、お互いの誤解が解けました。
これで仲直りです。
うっかり大阪天満宮にお参りしてからわずか1週間。
菅原さん、あんたすごいよ!
(そんな口の利き方しちゃだめだって)
2008年2月22日
ジェネレーションギャップ
「高校1年の天皇誕生日に急に雪が見たくなって、山梨の方まで出掛けたんですよ」
知人はそう話し始めました。
山梨に雪はなく、そのまま松本まで行って松本城を見たそうです。
ところで、肝心の雪は見られたのでしょうか。
「ええ、長野駅に着いたら降ってました」
そうですか、長野辺りは4月下旬でも雪が降るんですね。
「12月です」
――――×――――×――――×――――
昨日妹が来たのでこの話をしてみました。
私「で、長野駅に着いたら雪が降っていたんだって」
妹「11月に?」
お前は明治の人間かっ。
2008年1月 7日
噂の彼女
※この話は事実を参考程度に面白おかしくでっち上げました。
一昨年の暮れ、友人某氏から、私が以前付き合っていた女性の噂話を聞きました。
私には、彼女が妊娠していることが何となくわかりました。
――――×――――×――――×――――
彼女との恋が始まった頃、私はニートでした。
(ただし、当時まだそんな言葉はありませんでした)
自堕落な生活を送っていた私は、彼女と結婚するために、
アルバイトをしながら学校へ行くことにしました。
その時の私は、学校を出れば、まだ何とかまともに就職できる年齢でした。
彼女の話は、時々何を言っているのかわからないことがありました。
彼女は、たまに思いもよらない方法で怪我をすることがありました。
彼女は、突然心を閉ざしてしまうことがよくありました。
私はその度に考えました。
「こういう時は何と言ってあげればいいんだろう」
世の中には彼女と似た人が結構いるみたいで、
多くの解説書が出版されていました。
彼女と会えない時間は座学の時間になりました。
彼女とは何度か喧嘩をしました。
ある時、彼女の方から仲直りを求めてきました。
「お前なんか知るか」
彼女に振り回され、疲れていた私が、
ついうっかり口にした一言で恋は終わりました。
――――×――――×――――×――――
彼女はやはり妊娠していて、年明けに出産したことが後でわかりました。
しかし、一昨年の暮れに彼女の噂話をしていた某氏は、
その時点で彼女の妊娠には気付いていなかったようです。
そんな某氏の話から妊娠がわかるくらい彼女を思う気持ちがあるのに、
結局私は彼女に何もしてあげられませんでした。
ニートだった私が社会復帰できたのは彼女のおかげでもあり、
私は彼女に感謝しています。
彼女とは別れた後も暫く友達付き合いが続いていたので、
ある日そのことを伝えました。
ところが、既に別の人との結婚を決めていた彼女にとって、
私との過去を思い出させる感謝の言葉はかえって苦痛だったようで、
結局それっきり、友達付き合いも途切れてしまいました。
昨年暮れ、某氏を含む友人達と話していた時、再び彼女の話題が出ました。
最近は、彼女から某氏への連絡も途絶えているようです。
話はだんだん「彼女は大丈夫か」という流れになってきました。
「誰か行って、2つぐらい先の角から顔出して様子見て来い」
彼女の住む町は、我々の居場所からは遥か彼方ですが、
私の出身地からなら電車で30分程のようです。
私「それじゃ、正体がばれないようにスキンヘッドにして私が見に行くよ」
某「怪しいだろ」
私「いやしかし、相手に気付かれたらどうしよう」
某「普通に挨拶しろよ」
やれやれ、こんなアホな元彼が突然現れたら、彼女もさぞ辟易することでしょう。
2007年12月12日
憧れの左きき
こんな事を言ったら怒られそうですが、
私は左ききの人を少しばかり羨ましく思います。
日常生活の結構くだらない事で色々不便があるのでしょうが、
そういう個性が何となく好きです。
昔、ピンクレディーのケイちゃんが
左ききなのに右手でマイクを持たなければならず苦労したという話を聞きました。
いくら左ききでもマイクを右手で持つくらい難しくなさそうですから、
話の真偽のほどはわかりません。
でも、この話が妙に心に引っ掛かっていて、
私はカラオケに行くと必ず左手でマイクを持ちます。
(でもサウスポーは歌いません)
話は変わりますが、小学校の理科の授業でこんな事がありました。
針を棒磁石でこすって磁化し、発泡スチロール片に刺して水に浮かべれば
方位磁針のように決まった方向を指すという実験をしたのですが、
針を磁石でこする時は一方の極で一定の向きに何度かこすらなければなりません。
クラスのほとんどの子は、N極で針の先端に向かってこすりました。
私は、S極で針の先端に向かってこすりました。
もう1人、S極でこすった子がいましたが、反対向きにこすっていました。
その結果、30数人のクラスで私の針だけが逆を向きました。
運転免許試験場で原付の講習を受けた時は、
8の字形のコースを私だけひょうたん形に走りました。
もちろんギャグではありません。
どうもね、私はそういうキャラクターらしいのですよ。
何かこう、用意された道は歩けないけど自分の道は歩けるみたいな。
週休2日は駄目でもシフト制で月20日勤務は可能みたいな。
だから、みんなと同じようにできる事まで
わざわざ違う方法でやろうとするのでしょう。
きっと性格が左ききなんですね。
2007年11月25日
バリアフリー
母が新聞を読みながら、これではまた少子化が進むとぼやいていました。
母がどんな記事を読んでいたのかは未確認ですが、
1980年代以降問題視されている日本の少子化は
どんどん深刻な状況になっているようです。
単純に子供が多ければいいわけではありませんが、
生産力となる世代が高齢者に対して少なすぎる事は好ましくありません。
ところで、首相が替わってからあまり言われなくなりましたが、
前の首相や、その前の首相の頃は、
日本が再び戦争への道を進み始める事を懸念する声が多く聞かれました。
もし、少子化が進行するまま戦争に突入したらどうなるのでしょう。
太平洋戦争の頃は「産めよ増やせよ」という言葉がありました。
あの時は、本来は死をも恐れぬ勇敢な兵士を育成すべきところ、
何を間違ったのか死そのものを美化してしまい、
戦死を必然とする間違った戦略がまかり通っていました。
今なら、そんな「積極的な消耗」を重んじる馬鹿な戦い方はしないでしょう。
その代わり、兵力になり得る若者が最初から少ないという問題があります。
徴兵制は可能でしょうか。
今の時代、戦う気のない人を無理矢理従軍させるよりは、
志願制にした方が士気の高い軍隊ができていいと思います。
女性の動員は必須です。
既に女性の自衛官もいるので、それは問題ないでしょう。
ただし、女性兵士の出産・子育てについては十分な配慮が必要です。
ただでさえ人数が少ないのだから当然ですね。
それでも足りなければ、今度は体に障害のある人たちの出番です。
車椅子でも乗れる戦闘機とか、目が不自由でも撃てるミサイルとか、
どんどん開発します。
軍艦であってもエレベーターや点字ブロックの整備を義務付けます。
国を守るために戦う権利は誰にでもあるのです。
軍のバリアフリー化が進めば、高齢者も戦争に参加できます。
しかし、そうなると、社会的弱者に対する配慮が戦場でも必要になります。
戦場でも足腰の弱い人には席を譲りましょう。
無線通信をする時は、心臓ペースメーカーを使用している人から離れましょう。
軍用車両への車椅子の乗り降りも迅速にできるよう、
積極的にお手伝いしましょう。
若い者が寄ってたかって老人を攻撃するなど以ての外。
たとえ敵であっても、年長者に対する敬意を忘れてはいけません。
すごい!!
敵の兵士にまで優しいなんて、やっぱり日本は「美しい国」だ!
2007年10月21日
鉄道の日と結婚式
10月14日は鉄道の日です。
日本最初の鉄道が開通したのは明治5年。
記念式典が旧暦の9月12日に開催されました。
この日は新暦では10月14日に当たるため、
開業50周年の1922年から10月14日を鉄道記念日と制定。
1994年から「鉄道の日」に名前が変わりました。
毎年鉄道の日の前後には様々な鉄道関連のイベントが開催されています。
日曜日と重なった今年は、鉄道博物館開館というビッグイベントがありました。
この日に開館することは、
去年の交通博物館閉館の時には発表されていましたから、
当然私も開館初日に‥‥行くつもりだったのですが、
よりによって妹の結婚式と重なってしまいました。
鉄道開業の頃、横浜とは、横浜港周辺のごく狭い地域を指す地名で、
当時の横浜駅は、横浜港に程近い現在の桜木町駅でした。
大雑把に言えば、現在の観光地としての「港・横浜」だけが横浜だったわけです。
妹の結婚式は、横浜港を見下ろす丘の上の、小さな教会で行われました。
桜木町駅からは離れていますが、昔からの横浜、鉄道発祥の地です。
青いクワイアローブを着た女性が
祭壇の横の小さなパイプオルガンでお馴染みの曲を弾き始めると、
ウエディングドレスを着た妹が父と一緒に入って来ました。
2人がバージンロードの途中で立ち止まると、
祭壇の方から妹の夫となる人(とっくに入籍済みですが)が歩み寄り、
妹を連れて祭壇の前まで戻ります。
牧師さんが愛について説いた聖書の一説を紹介し、
例の「健やかな時も、病める時も‥‥」という質問を2人にします。
自称クリスチャンの妹のおかげで、
キリスト教の結婚式を初めて実際に見ることができました。
披露宴も素晴らしいものでした。
妹のお友達が披露してくれた歌が印象的でした。
ブーケトスでは、妹の勤め先の人が幸運に恵まれました。
早く実現するといいですね。
ブーケトスの瞬間
ところで、事前にわかっていた事ですが、
妹は私や両親にまで引き出物を用意してくれていました。
特に私の物は、他の人たちとは違う特別な品物だとか。
帰宅して、早速包みを開けてみると‥‥
ロンドンとベネチアを結ぶ、1920年代の豪華列車を再現した、
ベニス・シンプロン・オリエントエクスプレスのマグカップです。
やっぱり今日は鉄道の日でした。
妹よ、ありがとう。素敵な結婚式ができてよかったね。
2007年10月13日
同じ事です
先日電車に乗ったら、向こう側の席に座った女性が化粧を始めました。
暫くしてまた見ると、一通り作業を終えたようで、
鏡だけを残して道具を鞄にしまっていました。
最後に、肩に乗るほどの長さの髪を、
手で両脇にパサッ、パサッと除けて完了です。
その様子を見ていて、私は髭を剃らずに出て来た事を思い出しました。
午後から出掛けるときは、午前中ついのんびりしてしまい、
慌てて家を飛び出すこともしばしばなのです。
私は鞄から髭剃りを取り出しました。
髭剃りと言っても、ビョイーンと音のする電動式ではありません。
勿論、家庭でよく使われるT字形の髭剃りでもありません。
手の平に収まるマッチ箱程度の大きさの、手動式の髭剃りです。
頭の部分がローラーになっていて、肌の上で転がすと髭が剃れます。
プチプチと小さな音がしますが、電車の騒音に掻き消され、
誰にも聞こえないでしょう。
プチプチ‥‥。
ふと見ると、先程化粧をしていた女性が、
奇異の念を抱いた目でこちらを凝視しています。
確かに、電車の中で髭を剃るなんて変でしょう。
でも、あなたにだけはそんな目で見られたくありません。
2007年4月29日
メイドミニー
3月上旬のある日、横浜でちょっと暇だったので、
ランドマークプラザにあるディズニーストアを覗いてみました。
店の奥の方の棚にミニーマウスの人形(鼠形?)が並んでいるのですが、
何やら変わった服を着ています。
箱の裏を見てみると、「ミニー ジャパンツアー・シリーズ」という商品で、
今年1年毎月違う衣装のミニーちゃんが発売されるのだそうです。
(そう言えば去年はミッキーのワールドツアーシリーズがありました)
私が手にしたのは2月発売の北海道で、どうやらアイヌの民族衣装のようです。
その隣には、メイド服らしき物を着て
料理の載ったお皿を持つミニーちゃんがありました。
なるほど、これはメイド喫茶のウェイトレスで、この商品は東京版だ。
果たして、箱の裏を見ると‥‥
愛知県でした。
モーニングで有名な名古屋の喫茶店のウェイトレスが
名古屋名物のエビフライを持っているのだとか。
エビフライは名古屋名物なのか、
愛知県生まれの私も以前から疑問を持っていました。
ところが、財団法人名古屋コンベンションビューローのサイトでも
「なごやグルメ」としてエビフライが紹介されています。
しかも、1990年にはクルマエビが「愛知県の魚」に指定されています。
(魚じゃないじゃん!)
エビフライは最早「名古屋めし」としての市民権を得ているという現実を、
よりによってアメリカ生まれのミニーちゃんが
愛知県生まれの私に叩き付けました。
(ちなみに東京のミニーは11月発売だそうです)
2007年4月12日
対ロリコン政策
最近、少女をモデルにした写真集がよく売れており、
しかもモデルの低年齢化が進んでいるのだとか。
ただ、そのような写真集は昔からあったようですから、
近年いわゆる「オタク文化」が広く紹介されるようになり、
今まで世間で知られていなかったこの種の写真集が知られるようになって、
急に売れ出したように見えるだけかも知れません。
その辺の実態はともかく、テレビなどで紹介されている所を見ると、
少なくとも非合法の物ではないのでしょう。
ということは、この種の写真集のほとんどは、
モデルの保護者の同意を得て制作されていると考えられます。
(保護者の意図がきちんと反映されているかどうかは不明ですが)
法的には児童ポルノに該当しなくても結局目的は同じですから、
親は自分の娘の写真がエロ本に使われても構わないのか、
或いはその事に気付いていないのかどちらかなのでしょう。
しかし、いくら親や法律が許しても、需要が無ければ売れません。
この種の写真集の主要な購買層が20代から30代の男性とすると、
自分が子育てに夢中になっていれば、
よその子の裸(正確にはそれに近い格好)など興味が湧かないでしょう。
実際、子育て真っ最中の知人たちを見ているとそう感じます。
児童ポルノの規制も必要でしょうが、これを問題視するなら、
若い人たちが結婚や育児をしやすい環境を作れば
自然とこういう物も下火になりそうな気がします。
そんな事を、少女写真集について報道するテレビを見ながら知人に話してみたら、
こんな答が返ってきました。
もともとああいう物を買う連中は結婚なんか考えていないから‥‥
ごもっとも。
2007年4月 6日
横浜でデート
いつもは1人で行く横浜へ、初めて女性同伴で行きました。
横浜港周辺で結婚式場の下見です。
彼女は横浜在住ですが、港の辺りの地理に疎く、
よく船を見に来ている私が終始案内役でした。
最初の式場は、大通りに面して建つビルでした。
ビルの中とは思えない立派なチャペルは、
彼女がどうしても拘るリブボールト天井です。
宴会場も素敵です。
天井は二階分の高さがあり、部屋の奥には優雅に曲線を描く階段。
お色直しの後は、その階段の上から戻ってくるのだとか。
しかし、彼女は今ひとつ気に入らない様子です。
次の式場へ行く前に、途中にあるホテルで昼食を済ませることにしました。
ここは、戦前に建てられた重厚な建物で今も営業を続けています。
1人だとなかなかこんな高級なお店に入ろうとは思いませんが、
以前から一度入ってみたかったので、丁度いい機会でした。
次の式場は、丘の上の教会です。
残念ながら礼拝堂はリブボールト天井ではありませんが、荘厳な雰囲気です。
式の後は、隣の洋館でホームパーティーのような披露宴ができるそうです。
牧師さんの趣味で、調度品の一つ一つがアンティークです。
教会の運営方針も彼女の考えに合っているようです。
私は、ここがいいと思いました。
どちらの式場でも、仲が良くて羨ましいと言われました。
やっぱり、妹の式場選びに付き合うなんて仲良過ぎ?
2007年2月28日
帰ってきたロン
ロンがアメリカの大統領になったのは1981年でした。
ソ連を仮想敵国に設定していたアメリカにとって、日本は重要な軍事拠点でした。
ロンと仲良しだった日本の総理大臣ヤスは日本の事を
「外国の飛行機の侵入を許さない防壁を持った船」と言いました。
それを聞いたアメリカの新聞社が「不沈空母」という言葉を使ったので、
日本国内では「ヤスは軍国主義者だ」と叩かれました。
ロンは大統領を2期8年務め上げて引退しました。
それから15年後の2004年6月、ロンは天に召されました。
晩年は自宅で闘病生活を送っていたようです。
そのロンが大きな空母になって、「不沈空母」と呼ばれた日本にやって来ました。
こんどの敵は北朝鮮のようです。
スズメバチという名前の戦闘機をたくさん積んでいます。
ロンが大統領だった頃、
日本人が牛肉とオレンジを自由に輸入できるようにして欲しいと
ヤスに頼んだそうです。
たくさんある空母の中からロンが日本にやって来たのは、
最近アメリカからの牛肉の輸入が滞っているので
様子を見に来たのではないかと私は思っています。
2007年1月31日
硫黄島から帰る
※ネタバレ注意
この記事には映画「硫黄島からの手紙」の内容に触れている部分があります。
これから映画を鑑賞する方はご注意ください。
私は、戦地から帰って来る兵士、特に激戦地から帰って来る人たちは、
きっと運が良かったのだろうと思っていました。
勿論、運が悪ければ帰って来られないでのしょうが、
クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を見たら、
他にもう一つ条件があるように思えてきました。
「硫黄島からの手紙」には、西郷という名の若い兵士が登場します。
硫黄島での戦いを指揮した実在の人物、栗林忠道中将とともに
物語の中心となる人物です。
「こんな島アメ公にくれちまえばいいんだ」とこぼすのを聞かれ、
上官から鉄拳制裁を喰らう西郷。
仲の良い戦友との雑談では、いつも軍の横暴さ、理不尽さに愚痴をこぼしています。
やがてアメリカ軍が上陸。西郷の戦う摺鉢山はあえなく陥落します。
司令部の栗林中将からは、撤退して他の部隊に合流するよう命令が下されますが、
その場にいた上官は、全員に自決を命じます。
次々と手榴弾で自決する兵士たち。
西郷と仲の良かった戦友も、家族の写真を抱いたまま吹き飛ばされます。
その姿を見て怖じ気づき、なかなか自決できない西郷。
そんな西郷を尻目に、上官は先に拳銃で自決してしまいます。
結局取り残された西郷は自決せず、栗林中将の指示通り他の部隊へ合流します。
つまり、怖くて死ねなかったわけですが、むしろそれが正常な感覚でしょう。
「名誉の戦死」という言葉は、死を恐れて士気が下がるのを防ぐためのものです。
ところが、いつの間にか履き違えられ、
戦死そのものが美化され奨励されるようになってしまいました。
たとえ戦いに勝っても、多くの兵士が死んでしまっては意味がありません。
また、負けたのであれば、とにかくその場は逃げ帰り、
以前より成長した経験豊かな兵士として再度出撃した方が、
その後の戦いを有利に進められます。
徒に玉砕などして無駄に兵力を消耗しては、戦いを有利に進められるはずもなく、
かえって「天皇陛下の御為」にもなりません。
そんなでたらめな思想で動く軍隊に素直に従えるはずもなく、
しかし、逆らえるわけでもなく、多くの人は気付かない振りをして、
仕方なく「玉砕」したわけです。
それでも中には、西郷のように軍のやり方に疑問を持ち、
戦場でも自分の考えに従ってしまう人たちがいました。
戦後の復興を支えたのも、そうして帰ってきた人たちです。
劇中で西郷を演じた二宮和也さんの談話が映画のパンフレットに載っています。
おじいちゃんやおばあちゃんが、「最近の若い者は」って言う気持ちが
少しだけわかるようになりました
最近の若い者は自分の頭で物事を考えないから、
あんな嘘っぱちのテレビ番組なんかに騙されるんだ。
そのうちお上の都合のいいように洗脳されて、大変な事になってしまうぞ‥‥
二宮さんのおじいちゃんの世代に当たるイーストウッド監督が
この映画に込めた多くのメッセージの中には
そんな事も含まれているのかも知れません。
2006年12月31日
常夏の島の意外なお土産
先日、妹が来た時に、ハワイへ行くけどお土産は何がいいかと聞かれました。
私はハワイの事をよく知らないので、
チョコレートとアイスクリームしか思い当たりません。
どちらも好きですが、お土産はお任せということにしました。
後日、所用で妹の家に行った両親が、私の分のお土産ももらってきてくれました。
私へのお土産は、ボールペンとマフラーでした。
きょうだいだから気にしないのか、値札が付いたままです。結構高いです。
ありがたいです。ほんのちょっとした物でいいのに‥‥。
ボールペンの方は、コアというハワイにしか生えていない木で作られています。
それはそれは、珍しい物をありがとうございます。
それはそうと、常夏の島のお土産がマフラーとは意外です。
昨日は忘年会だったので友人に話してみたところ、
「ハワイでは貴重な物なのではないか」という説まで出ました。
ハワイの伝統的な織物でもなさそうですし、
ひょっとして、私がマフラーと思い込んでいるだけで、
実は別の何かなのでしょうか。
妹の携帯電話にお礼のメールを送ったら、
「ハワイも冬ですから」と返事が来ました。
やはり普通のマフラーだったようです。
そう言えば、ハワイにはスキー場もあるんですよね。
昨日の忘年会に来ていた沖縄在住の友人によると、
沖縄では気温が18度を下回ると寒いんだとか。
清水義範さんの本にも、
インドには「ホットな季節」と「ベリーホットな季節」があって、
「ホットな季節」をインドの人はやたらと寒がるという事が書いてありました。
暑さ寒さというものは、随分と相対的なもののようです。
今までハワイにはあまり興味がなかったのですが、
これは一度自分で確かめに行った方が良さそうです。
マウイ島のサトウキビ列車に乗りに行きましょうか。
2006年12月23日
プレゼントで右往左往
アメリカではキリスト教信者以外の人に配慮して
「Merry Christmas」の代わりに「Happy holidays」とも言うそうです。
私もクリスチャンではないので、クリスマスは無関係と思っていました。
ところが、友人がわざわざクリスマスプレゼントを送ってくれました。
しかも、添えられた手紙によると、愛情いっぱいで選んでくれたのだそうです。
(ちょっとのろけ)
これは放っておくわけにはいきません。
さて、何をプレゼントしましょうか。
そう言えば、以前ANNA SUIのハンカチをあげたら喜んでいました。
その時のお礼の手紙でミラーとかポーチとか言っていたような気がするのですが、
どこで売っているのでしょうか。
ハンカチはデパートの季節商品の売り場で買ったので、
普段はどこで売っているのかわかりません。
調べてみると、デパートの通販で買えるようです。
鏡があったので早速注文。
これでよし‥‥と思ったら、何と届くまで10日程もかかるとか。
それではクリスマスに間に合いません。
鏡はそのままクリスマス過ぎに届けてもらうことにして、
クリスマス用に慌てて別のプレゼントを買いに出掛けました。
お店で買ってすぐ郵送すれば、何とか間に合います。
電車に乗ること約30分。まずは駅ビルの「ルピシア」へ。
ここはお茶の専門店で、私がよく女性へのプレゼントを買う所です。
ところが、どうも今年のクリスマスはいい物がありません。
期待していたんですけどね。
続いて高島屋へ。地下食品売り場の「フォション」へ行きます。
ここにも紅茶があります。ブランドイメージはルピシアより高級でしょうか。
しかし、どうも可愛らしさが足りません。
紅茶にそんな物求めるなって? いやいや、それが重要なんです。
今回は自分で飲むわけじゃないんですから。
この高島屋にはディズニーストアもあります。
友人はミニーちゃんが好きで、
以前ここで買ったプレゼントが気に入ってもらえたという実績もあります。
しかし、行ってみるとここもダメ。
「子供じゃないんだから‥‥」って感じですね。
高島屋ではクリスマスまでの間、特設会場でテディベアを売っていました。
なかなかいい物もあるのですが、少々高過ぎます。
お金がないわけではありませんが、既にANNA SUIの鏡を買っています。
高価な(と言う程でもないけど)プレゼントが続くと
相手に余計な気を遣わせてしまうのでいけません。
普通、女性へのプレゼントはスイーツという便利な手があるのですが、
友人の場合、虫歯とダイエットを理由に受け付けません。
そんな時に使える紅茶も、既にルピシアとフォションがダメ。
最後の頼みの綱、伊勢丹へ向かいます。
伊勢丹に「グランドアフタヌーンティー」というお店があります。
今まで気付かなかったのですが、友人が気に入ってくれそうな物が色々あります。
よし、ここならいい物が見つかりそうだ、と思って物色していると、
何やら見覚えのある品物が目に止まりました。
友人が私にくれたのと同じ商品です。
これはいけません。
友人からのプレゼントの値段を、私が知ってしまうことになります。
友人の場合はわかりませんが、これは結構気にする人もいます。
そろそろ帰らなければいけない時間ですが、まだプレゼントは見つかりません。
途方に暮れてふと振り返ると、一つの看板が目に入りました。
ANNA SUI
ここで買って郵送すれば間に合ったのか。
そう言えば、ハンカチを買ったのも通販も伊勢丹新宿店だった‥‥。
ああ、もうっ、クリスマスの奴め、信徒でない私を翻弄しやがって。
通販の鏡がクリスマスに間に合わなくても
日本人なんだからお年玉で十分だあっ。
2006年11月 7日
人の振り見て我が手紙
かなり前の事ですが、当時勤めていた会社の上司から、
「これをよく読んで参考にするように」と、1通のメールが転送されて来ました。
そのメールは、社外の人から上司に宛てられた私信でした。
上司はそのメールを私に示し、
「この人のように常に積極的な態度で、向上心を持って仕事に励んで欲しい」
と言いたかったようです。
しかし私信ですから、メールの内容自体は私の仕事に直接関係ありません。
こんなメールを転送されては、むしろ上司に対して不信感を抱いてしまいます。
このメールを書いた人は、自分の気持ちを一生懸命上司に伝えようとしたのに、
上司がそれを第三者に読ませたと知ったらどう思うでしょう。
転送した事がメールを書いた当人にばれなければいい、とは言えません。
このメールを転送された私は、
当然、自分のメールも同じようにして第三者に読まれている事を疑うわけです。
この一件だけで上司を悪い人と決めつけるつもりはありませんが、
厚かった信頼の一角が崩れてしまったのは残念ながら事実です。
電子メールの手軽さからついこんな事をしてしまったのでしょうが、
「悪意は無いけどデリカシーも無い」と言わざるを得ません。
ところで私は、直筆の手紙を回し読みされた経験もあります。
ラブレターがよっぽど嬉しかったみたいで‥‥。
まあ、彼女と友達との信頼関係は当事者にお任せしますから、
せめて私にはばれないようにして欲しいと思います。
(というか、自分でばらすなよ)
男運が悪いと嘆く女性は、運が悪いのではなく、
実は自分の行動が質の悪い男を呼び寄せているといいます。
もちろん男性についても、また男女間以外についても同じ事が言えます。
自分の周りには、自分と同じレベルの人が集まって来るものです。
上司にしろ恋人にしろ、平気で手紙を回し読みしてしまうような人が
私の周りの人、つまり、自分と同じレベルの人だったわけです。
私自身はもちろん、もらった手紙を他人に読ませたりはしませんが、
それに似た行為を知らず知らずのうちにやっていたのでしょう。
次に出すラブレターが回し読みされなかったら、
私も少しは成長した、ということにしましょう。
2006年10月 9日
E-mail from Texas
I received an e-mail from Texas.
I call the sender "Uncle Jimmy" with friendly feeling.
In this August, Uncle Jimmy came to Japan to meet his daughter and her husband.
But Uncle Jimmy couldn't stay at a house of his daughter
because they lived in a kind of dormitory with 16 other families.
So, Uncle Jimmy stayed the hotel where I work.
Uncle Jimmy can't speak Japanese.
So the employees of a hotel had to talk with him in English.
I spoke English best in the employees.
When I talked in English, Uncle Jimmy was pleased very much.
With the thanks during his stay at the hotel,
a good news of his daughter and her husband was written the e-mail.
They will be moving into a house.
I want to reply to Uncle Jimmy immediately.
But I am a bad correspondent. Besides, I am weak in English.
So, I'm practicing writing a letter by writing this blog in English.
But....
そんなヒマがあったらとっとと返事を書かんかいっ、とツッコミが来そうな気もします。
2006年10月 8日
報道って何だ?
「死ぬ死ぬ詐欺」というものがあるそうです。
幼い子供が難病に罹っていて、海外で手術を受けなければならないので、
その費用を寄付してほしい‥‥と訴えてお金を騙し取る詐欺だそうです。
正確に言うと、私は「死ぬ死ぬ詐欺」という言葉の意味を知っただけで、
本当にそんな詐欺行為が横行しているのかどうかまでは未確認ですが。
先日、あるニュースサイトでもこの事について書かれていました。
心臓病の女の子を救済する募金活動について、
ネット上で批判が相次いでいるという内容です。
私がこのニュース記事を読んでみたところ、
どうしても記事の本題より執筆者の態度の方が気になりました。
内容が「ネット上のあちこちに書いてあることのまとめ」なのです。
実はこの募金の問題、このニュース記事より数日前に
「きっこのブログ」という人気サイトで取り上げられていました。
わたしもたまたま「きっこのブログ」の方でこの問題を知り、
その後の動向が気になってニュースサイトの記事を読んだのですが‥‥
ネットサーフィンぐらいなら自分でできます。
そして数日後、「きっこのブログ」で、この問題が再び取り上げられました。
ブログの作者であるきっこさんが、募金活動の当事者に直接確認を取り、
本当に手術費用の募金を行っている事と、
それに便乗した詐欺行為が実際にあることがわかったそうです。
やれやれ、これではニュースサイトより個人のブログの方が
余程ジャーナリスト魂が旺盛です。
私が以前勤めていた職場のボスはジャーナリストです。
そのボスからは、
「報道は本来インテリジェンスでなければならないのに、
実際はただのインフォメーションに成り下がっている」
と何度も聞かされました。
今、世の中で何が起こっているのかを正確に伝え、
公正な判断を促すのが報道の役目のはずなのですが、
それが行われると困ってしまうような団体からの圧力により
十分に機能していないのが現状だと言います。
だから、行列のできる店だの、有名人のちょっとした不祥事だの、
当たり障りのない情報ばかりが流されます。
それならせめて、
他では伝えていない独自のインフォメーションでもあれば嬉しいのですが、
今回のJ-CASTニュースの記事はそれですらない、
検索のためのインデックスに過ぎません。
(あ、実名出しちゃった)
「面倒だから代わりにネットサーフィンしてください」
という需要でもあるんですかね。
2006年8月29日
アメリカの健康的な食生活
ちょっと前の雑誌なのですが、「プシコ」という月刊誌の2006年5月号に
アメリカで研究された健康的な食生活についての記事がありました。
アメリカ国立がん研究所によると、がんを予防する効能の高い食品は、
野菜や果物、豆類など植物性の食品で、動物性食品は含まれていないそうです。
また、ハーバード大学やコーネル大学の栄養学者は、
健康のためにアジアの昔ながらの食生活を見習おうと言っています。
その内容は、大雑把に言うと、野菜、果物、豆類、穀類を毎日食べ、
卵や鶏肉は週1回、赤身肉は月1回にしなさい、というものです。
この健康的な食生活のキャンペーンを続けた結果、
あの「牛肉大好き」なアメリカ人の野菜摂取量は1995年に日本人を上回りました。
そして、その年のがん死亡率は日米間で逆転したそうです。
なるほど、健康の次に大切なのは経済ですよね。
アメリカがどうしても日本に牛肉を売りたい理由が何となくわかりました。
牛肉の消費が減ったら酪農家のみならず飼料の生産業者も大変です。
そりゃ必死ですよね。
一刻も早くこの状況を救うためには、
危険部位の除去なんかいちいち確認していられませんよね。
ちなみに、ハーバード大学やコーネル大学の研究者が参考にしたのは
昔の日本人が食べていた食品だそうです。
参考文献
ほどほどのススメ 第5回 粗食もほどほどに
藤田紘一郎
月刊プシコ2006年5月号 ポプラ社
2006年4月22日
「夢」と「夢」
ここ1年半程の間に3回「夢は何ですか?」と聞かれたのですが、
3回ともちゃんと答えられませんでした。
中学生の頃、同級生と
「将来サラリーマンにはなりたくないね」と話していたものの、
将来の夢を具体的に描くことはできず、
その後はニート、フリーター、引きこもり、不良学生等を経て
現状は一応サラリーマンです。
サラリーマンが嫌なら本気で写真家でも目指せば良かったのでしょうが、
高校時代、現実の厳しさを悟ったような気になって、
「趣味は仕事にしない」などという方針を立ててしまいました。
趣味では苦しみたくないし、辛い時の逃げ場として温存したいと思ったからです。
そうやって、「やらない事」だけを決めた結果が、
先に述べた「ニート、フリーター経由サラリーマン行き」でした。
私の夢は一体何なのでしょう。
ところで、寝ている時に見る方の夢の話ですが、
私が見る夢には駅や列車がしばしば出て来ます。
夢占いによれば、駅は運命の転換期や大きな変化、
列車は仕事での予定変更、人間関係の変化、環境の急変を表しているそうです。
「夢」が決まれば列車の行き先も決まるのでしょうか。
私の人生は旅の途中どころか、まだ旅が始まってもいないようです。
次は切符を買う夢でも見ましょうか。
その前に行き先を決めておかないといけませんね。
2006年4月 9日
妹の引っ越し
妹が帰宅したのは物音でわかったのですが、
妙に鼻をかむ音が続きます。
体調が悪いのでしょうか。
暫くして、妹が私の部屋に入ってきました。
「横浜に引っ越します」
鼻をかんでいた理由がわかりました。
「今までお世話になりました」
いやいや、大してお世話など‥‥。
「遊びに来てね」
時々行かせてもらいますよ。
「毎日来てもいいよ」
そりゃダンナが困るだろ。
餞別に「開運身代り鈴」をもらいました。
御利益は確認済みだそうです。
私と妹の「仲良し加減」は当の我々の思う以上のようで、
周囲の人たちは感心し、私の恋人は嫉妬しました。
別れ際に涙ぐむとは、最後まで「お兄ちゃんっ子」ですね。
こんな兄を慕ってくれて嬉しいです。
2月に他界した猫の遺骨も妹と一緒に引っ越しです。
32年半ぶり(あ、妹の歳ばらしちゃった)に両親と3人家族。
正直なところ私も、恋人がいなくてもちゃんと生きているけれど、
妹がいなくなったらどうかなぁ‥‥なんて
半分冗談、半分本気で考えていました。
横浜へはいつ遊びに行ってやろうかな。
お土産は、ちゃんと2人分用意しないとね。
2006年4月 8日
何もできない休日
モチベーションの波というのでしょうか、周期的に何もする気がなくなってしまい、
気分屋の私は、そういう時は本当に何もしません。
と言うより、できません。
最近mixiを始めたところ、同じく最近mixiを始めたBlueRibbonさんが
私の紹介文を書いてくれました。
私もBlueRibbonさんの紹介文を書きたいのですが、
いや、書こうとしたのですが、
いえいえ、途中までは書いたんですよ。
でも、どうしても最後の一言が思いつかないんです。
そう言えば、もう4月も始まって1週間ですね。
実は、ホワイトデーのプレゼント、まだ渡していないんですよ。
張り切り過ぎて2つも買ったのに。(相手は1人です。二股じゃありません)
一緒に添える手紙が書けないんです。
いつも無難な事ばかり書いているので、
たまには突っ込んだ話もしたいのですが、
やっぱり大事な話は相手の顔色を見ながらしたいですよね。
ああそうだ、編集中で放り出してあるビデオと、
撮りっ放しのビデオが1本ずつありました。
バイクも修理に出したいし、交通博物館へも行きたいし‥‥
やりたい事はいっぱいあるし、そのための時間もあるのに、
できません。本当に何もできません。
だからといって何もしないと却っていけないのですが、
こんな時皆さんはどうしているのでしょう。
今日の私は、BlueRibbonさんの紹介文を書くつもりでパソコンを起動し、
結局ネットサーフィンをしていました。
何も進展せず、しかも何かしている気になってしまう最悪の行動です。
(目も疲れますし)
何か検索しようとしてYahoo! JAPANを開いたら、
ふと目に止まるものがありました。
「海でのはなし。」
なんでも「スピッツの名曲で綴る感動のショートムービー」だとか。
別にスピッツに興味は無いのですが、何となく見てしまいました。
申し訳無いのですが、さして感動もしませんでした。
しかし、さすがラブストーリーですね。
ちょっと手紙を書きたい気分になりました。
結局、書けるかどうかは書いてみなければわからないんですけどね。
2006年4月 1日
デート
先週、今週と続けて週末はデートでした。
ただし、相手は母です。
これを今風に書くと‥‥
先週、今週と続けて週末はデートでした♪
ただし、相手は母です↓
別に嫌々行ったわけではないので「↓」は違いますね。
先週、今週と続けて週末はデートでした♪
ただし、相手は母です(^^;
冷や汗を垂らす必要はないと思います。
先週、今週と続けて週末はデートでした♪
ただし、相手は母です。(なんでやねん)
いや、ただ母が誘うからついていったのですが‥‥。
先週、今週と続けて週末はデートでした♪
ただし、相手は母です(違
間違いなく私の母です。
先週、今週と続けて週末はデートでした♪
ただし、相手は母です(おぃ
勝手だろ。
先週、今週と続けて週末はデートでした♪
ただし、相手は母です(藁
何がおかしい?
とにかく、母と2人で出掛けたのですが、
記号、顔文字、短い言葉をちょっと加えるなど、
そう言った表現で今日の事をうまく書き表そうとすると
なかなか難しいものです。
先週、今週と続けて週末はデートでした。
ただし、相手は母です。
「母とデート」というだけで楽しかったか否か察してくださいな。
ちなみにコースは
先週 東京ステーションギャラリーへ行った後銀ブラ
今週 千鳥ヶ淵と靖国神社でお花見をした後神保町で映画鑑賞
でした。
そうそう、今日はエイプリルフールでしたが、
デートの相手が意中の人ではなく母だったというのはシャレではありません。
意中の人には「結婚しよう」とメールで言おうかと思いましたが、
100%シャレだと思われるのも癪なのでやめておきました。
2006年3月25日
上から見る都会の喧噪
ビルの4階にあるレストランに入ったら、窓際の席に案内されました。
眼下に中央通り。銀座4丁目の交差点が見えます。
伯母に連れられ歩行者天国を歩いたこと。
従弟と一緒にデパートのイベントに行ったこと。
一人で伊東屋に買い物に来たこと。
コーヒーショップでラブレターを書いたこと。
ホワイトデーのプレゼントを探したこと。
路線バスから対向車線の教習車を見て、こんな所で大変だなと思ったこと。
銀色のロンドンバスで注目を浴びながら通り抜けたこと。
通りを見下ろしながらそんなことを思い出していました。
メインストリートの喧噪は、ここまでは届きません。
音のない歩行者天国は何やら映画でも見ているようで、
その違和感の所為か自分の記憶までまるで他人事です。
思えば私も随分とこの通りを往来しましたが、
今日は図らずも立ち止まって振り返ることになりました。
高い所から見下ろすという行為には、大局を見つめ直す効果があるようです。
死後の世界から現世を見るとしたらこんな感じでしょうか。
大都会の繁華街にこんな気怠い空間を見つけたら、
いつもなら喜んでしまうところですが、
今日は何だか退屈だったのは、料理がいまいちだったからかも知れません。
2006年3月18日
うまくいかない日
午後1時には出掛けるつもりが、1時半を過ぎてしまいました。
午後3時に美容院に行った後、そのまま名古屋へ行くか否かで迷い、
結局名古屋行きを決めたのが当日のお昼前。
宿の確保、撮影機材などの準備、そして‥‥
思うところあってスーツで出掛けることにしたのですが、
お気に入りの猫のネクタイが見あたりません。
遅れることを伝えようと駅から美容院に電話しても、出ません。
白髪染めでもやっていて手が離せないのでしょうか。
留守電にメッセージを残したいのですが、周りがうるさくて良く聞こえません。
聞き取れたのは一言「電話をお切りください」
結局何も言えずに電車に乗りました。
地下鉄に乗り換えて美容院の最寄り駅へ。
いつの間にか駅が改装されて、どこの出口を出たらいいかわかりません。
もう一度電話したら、今度は出てくれました。
ごめんなさい。今度は出口の番号を忘れないようにします。
新幹線で名古屋へ来ましたが、目的地はここではありません。
明日明治村へ行くための切符を今日のうちに確保しようと名鉄名古屋駅へ。
しかし、いつも使っている割引クーポンは先月一杯で発売終了。残念。
気を取り直して夕食をと思ったのですが、名古屋の地下街の夜は早いです。
既に夜9時半。軒並み閉店です。
開いているお店もラストオーダーの時間が迫っています。
なんだかうまく行かないなぁと思ってしまう日は、時々あります。
しかし、今日の出来事を良く思い出してみると‥‥
新幹線に乗る前に食べたごはんがおいしかったし、
東京駅では東京駅オリジナルネクタイを買うことができました。
そもそも、出掛ける当日になって名古屋駅前のホテルを確保できたし、
こうしてブログの更新もホテルでできたのですから、
そう悪い日ではありません。
「今日はいきなり出鼻をくじかれた」なんていう考え方は損ですね。
というか、そう考えることで自ら出鼻をくじいています。
もうすぐ日付が変わります。
明日は自分でくじかないように、そろそろ寝ましょうか。
2006年3月11日
朝寝坊
私は朝7時半に家を出て職場に向かいますが、寝坊して遅刻したことはありません。
ところが、休日に一人で遊びに行くとなると、大概寝坊します。
一度、朝の新幹線に乗り遅れて700円程無駄にしたことがあるので、
それ以来新幹線の切符はなるべく当日東京駅で買うようにしています。
実は今日もまた寝坊しました。
午前10時起床。私の休日としては比較的頑張った方です。
しかし、それから東京港と横浜港の客船入港情報をチェックして、
シャワーを浴びて、ご飯を食べて、鞄に撮影機材を入れて‥‥
なんて事をのんびりやっていたらもう午後です。
誰と待ち合わせするわけでもないし、
アマデア(ドイツの客船)が横浜に入港するのは夕方だから‥‥
と、そんな調子ですから、結局東京駅まで直通の列車に乗り遅れ、
途中で乗り換えなければなりません。
このブログ「わくらばに」は、週に1回は新しい記事を書くことにしています。
前回の更新から1週間。今日中に新しい記事を書きたいのですが、
午後から遊びに行ったら帰宅は深夜。更新は午前0時を過ぎてしまいます。
だから、ノートパソコンを持ち出して、電車の中で書いています。
まるで、パンを食べながら学校へ猛ダッシュするのび太君です。
乗り換え駅まで30分弱。
時間を掛けてだらだら書いてもいいものは書けないし、
夜中に焦りながら書くより精神衛生上もいいし、
かえって良かった‥‥というのは、
果たして「プラス思考」と言っていいものかどうか、少々疑問ではあります。
さて、終点です。東京行きに乗り換えましょう。
2006年2月 4日
新しい玩具(おもちゃ)
今日機械が人間をそこなうようにぼくらに思えるのは、もしかすると
かくまで急速な変化のあとを批判するに必要な時間の距離が
まだ足りないためかもしれない。
これは、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著 堀口大學訳
「人間の土地」にある一文です。
技術の急速な進歩、世の中の急激な変化に、
人々の考えや生活はまだ追い付いていません。
先端技術の結晶たる最新鋭の機械を手にした我々は、彼に言わせれば
「新しい玩具(おもちゃ)がおもしろくてたまらない野蛮人の子供たち」です。
郵便飛行機の操縦士だったサン=テグジュペリは、
彼が生きた時代の「新しい玩具」の1つである飛行機についても、
「ぼくらの飛行機競争もこれ以外の意味を持ちはしない」
「競争の方が、さしあたり、競争の目的より重要視されている」
と語っています。
21世紀初頭を生きる我々の「新しい玩具」の代表格は、
携帯電話とインターネットでしょうか。
次々と増えて行く携帯電話の機能は目的不明で、
どんどん通信速度を増すインターネット回線はオーバースペックのように
私には感じられます。
今は、その競争がおもしろくてたまらない時代です。
最新の技術に価値を感じつつも、何か説明できない鬱陶しさを感じる理由が、
何となくわかった気がしました。
私は、携帯電話もインターネットも、「生活の道具」だと思っています。
筆箱の中の筆記用具が、台所の調理器具が、
一斉にその機能の高さを自慢し始めたら、
まとめてゴミ箱に放り込みたくなるじゃないですか。
サン=テグジュペリは1939年にこの本を書いています。
今は飛行機もすっかり「生活の道具」になりました。
まだまだ「新しい玩具」は出てくるでしょう。
なるべく翻弄されずに、早く使いこなしたいものです。
2006年1月21日
0と1の間に
世の中にデジカメが普及してもずっとフィルム撮りのカメラを使っていた私ですが、
ビデオカメラを買ってからは写真もそれで撮るようになり、
いつの間にかフィルムを使わなくなっていました。
去年の5月、旧古河庭園のライトアップを撮影するために
久し振りにフィルムを使いました。
僅か1時間半の撮影でしたが、ずいぶん疲れました。
一体何にエネルギーを使っているのでしょう。
今年の正月、横浜で船の写真を撮りました。
気が向いたので、またフィルムを使ってみる事にしました。
一人でただ船を撮るだけでしたが、いつになく楽しい撮影でした。
デジカメでここまで楽しめないのはなぜでしょう。
以前私は、写真を撮る時、うまく撮れたかどうかは
シャッターボタンを押す時の抵抗でわかりました。
ボタンの動きが重く感じる時は成功です。
その事自体はきっと気のせいでしょう。
しかし、そう感じていたのは事実で、潜在意識が何かを捉えていたのだと思います。
私自身、決してデジカメを嫌っているわけではありません。
「その場の画像を記録する装置」としては非常に優れているとさえ思います。
しかし、「写真による表現に快楽を求める人種」の立場からは
フィルム撮りのカメラと比べると明らかに何かが欠落しています。
ただ、その欠落している「何か」は、恐らく潜在意識で捉えるものなのでしょう。
残念ながら説明不能。そこが歯痒いのです。
そこで、こう説明することにしました。
デジタル技術は全ての物事を0と1で処理します。
この世界は、0と1の間が多くの物で満たされていますが、
人は0と1の間にあるものを見る事ができないので問題ありません。
しかし、実は見えなくても感じる事ができるのです。
それを感じた時、人は感動します。
「アーティスト」は0と1の間にあるものを見ることができます。
だから、人を感動させることができる反面、
普通の人から見ると「変な人」に見えるのです。
どうです。20年前にCDによってアナログディスクが淘汰された時の事も
これで説明できるでしょ。
2005年12月26日
日記をさぼる言い訳
さあ、2005年も残すところあと1週間です。
今、本屋さんへ行くと「マイブック」という本を売っています。
新潮社から発売されている文庫サイズの本なのですが、
各ページは隅に日付だけが印刷され、後は余白。
中身は自分で書いてください、というわけです。
表紙や扉には著者として自分の名前を書き込めるようになっています。
去年の暮れにこれを買って、今年の1月1日から日記を付け始めました。
後から遡って埋めた日もありますが、暫くは毎日続いていました。
しかし、2月17日で一旦中断。
3月1日から復活するも、わずか11日でまた中断。
5月上旬と下旬、そして8月上旬に数日ずつ書いていますが、
次は10月29日と30日。
そして今、この話をするために2ヶ月ぶりに開きました。
私の2005年は2ヶ月半くらいだったみたいです。
ものぐさということもありますが、
穏やかな気分で過ごしたい一日の最後の時間に
嫌な事は書きたくないじゃないですか。
今年はちょっとストレスが多かったみたいです。
3月に転職したからですかね。それとも出張が続いたからでしょうか。
どうせ非公開の日記、何を書いても差し支えないのだから、
この機会にしっかりと自分を見つめ直そうと思って書き始め、
最初のうちはそれができていたはずなのですが‥‥
まさか「自分に見せられない」とは思いませんでした。
なにぶん落ち込むといつまでも引きずる性格なもので、
欠点だらけの自分の姿を毎日確認していたら立ち直れなくなりそうなのです。
ということで、マイブックはもういいです。
来年は、毎日ではありませんが、
引き続きこのブログを更新していきたいと思います。
せめて皆さんにお見せできる部分だけでもこうして記録を残さないと、
どんなひどい1年になるかわかったもんじゃありません。
2006年もどうぞよろしく。
2005年12月10日
思いは通じる
先日、所用で長距離のドライブをしました。
埼玉県の久喜から青森県の三沢まで600km余りを車で往復です。
出発は金曜の夜。東京の仕事場から直行です。
久喜へ戻るのは月曜の早朝。帰宅せずにそのまま出勤です。
辛いです。できれば新幹線か飛行機で帰りたいです。
久喜駅前から6人が1台の車に乗り、三沢へ向けて出発。
運転免許を持つ4人が交代で運転し、夜の高速道路を順調に北上しました。
私がハンドルを握っている間に夜が明け、
岩手県から青森県へ入ろうとする辺りで雪が降ってきました。
タイヤにチェーンを付けて、
雪がシャーベット状に積もった高速道路を慎重に走ります。
運転を別の人に替わってもらい、助手席に座っていた時の事。
疲れてうとうとしていた私がふと前を見ると、ガードレールが目前に迫っています。
パンッ、と音がしてエアバッグが開き、
車はくるりと回って追い越し車線で止まりました。
幸い、誰も怪我をしていないようです。
後続車もいなかったみたいです。
慌てて車を路肩に押し戻し、警察に連絡。
車内にいると危険なので、道路脇の非常電話の所に固まって救援を待ちます。
雪は、まだ降っています。
えらい目に遭いましたが、誰も怪我をしなかったのは不幸中の幸いです。
目的地には別の車で着く事ができ、帰りは念願叶って新幹線でした。
客観的には、良かったかもしれません。
しかし、人の車1台潰して、事故の法的責任は私になくて、
実は新幹線の切符も自分で買ったわけではありません。
私の勝手な願望が通じた結果がこれだとしたら、何と身勝手な‥‥。
思うだけなら勝手だと思っていましたが、とんでもないですね。
(でも日曜のうちに帰れてよかったです)
2005年12月 1日
未来
時々、今の自分の何気ない日常に「未来」を感じる事があります。
さっきまでYahoo!で「機動戦士Ζガンダム」を見ていました。
この番組がテレビで放映されたのは、もう20年も前。
当時は膝の上に乗る小さなノートパソコンでアニメを見るなんて‥‥
まあ、想像するくらいはできました。
(ガンダムの世界はもっと進んでいますから)
しかし、まさか自室の畳の上でやるとは思っていませんでしたね。
Ζガンダムが放映された1985年には、「科学万博」が開催されました。
その最終日、未来を垣間見た私は、帰りに電車に乗る前に友達とはぐれました。
さあ、ここで若い皆さんに質問です。
(若くない人が答えてくださっても結構です)
携帯電話が無かった当時、友達とはぐれてしまえば、
容易に連絡を取り合う事はできません。
あなたならどうしますか?
私の場合、駅の公衆電話から友達の家に電話をして、
友達のお母さんに事情を話しました。
友達が家に電話する事を期待したのです。
残念ながら、友達はそのまま家に帰ってしまったようで、
結局私は1人で電車に乗って帰ったんですけどね。
まだまだ未来は遠かったのです。(20世紀でしたから)
さて、「未来」になった今、誰もが携帯電話を持っています。
確かに、便利な事もありますよ。雑踏での待ち合わせとか。
楽しい事もありますよ。友達とのメールとか。
でも、こいつの電源が一日中入りっ放しなのは、何となく嫌なんです。
電車の中で着信があると、鬱陶しいんです。
「いつでも人とつながっていられる幸せ」のはずが、
「こんな物をいつも気にしながら生きていくなんて」になっています。
何だかね、「あっても無くても不便なもの」なんでしょうか。
まあ、未来はいつもバラ色とは限りませんから。
と、パソコンで見るアニメから始まった未来の話が
結局携帯電話に終始してしまいました。
それだけ生活に深く入り込んだ「未来の道具」なんですね。
今、私の目標の一つが、携帯電話のない生活です。
そんな未来が実現した時、次の「鬱陶しい未来の技術」は
何になるんでしょうね。ちょっと楽しみでもあります。
2005年11月25日
手紙
友人から手紙が来ました。
こちらは、手紙と言うほどのものではないのですが、
旅先からよくはがきを出していました。
しかし、先方はずっと体調を崩していたようで、手紙をくれたのは久し振りです。
嬉しいので相手の携帯電話にメールを送ったのですが、返信はありません。
手紙によると、まだ完全に体調が回復したわけではないようですから、
また寝込んでしまったのでしょうか。
それとも、急に次の休日に会おうなどと私が言い出すものだから
当惑してしまったのでしょうか。
この手紙が書かれたであろう一昨日あたりにメールを出していれば
すぐに返事がもらえたでしょうか。
私は、電子メールが味気ないとは思っていませんが、
郵便の手紙のやりとりに流れる時間の感覚はなかなかいいものです。
今様の言い方をすれば「スロー」でしょうか。
「書く」という作業には不思議な力があるようで、
読んだだけでは理解できない事も書いてみるとわかったり、
夢をノートに書き綴っていると実現したり‥‥。
手紙も、先に考えておいた事を紙の上に吐き出すのではなく、
書く事自体が思考だと思います。
だから、書いているうちに気が変わって、
最初から書き直したり、結局出さなかったりするのです。
以前、当時付き合っていた人からもらった手紙の宛名書きを見た瞬間、
「これはまずい」と思った事がありました。
果たして、開封してみれば予想通りの内容。
手書きの文字は、書かれた言葉の意味以上に語るものです。
しかし、旅先からせっせとはがきを出す割には
家でじっくり腰を落ち着けて手紙を書かない私は
筆まめなんだか筆無精なんだか‥‥。
2005年11月12日
流行り廃り
靴を買いに行きました。
街を歩く時も、バイクに乗る時も履けて、しかも防水。
そして、あまり暗い色は避けたい‥‥。
残念ながらそんな靴はありませんでした。
3、4年前ならホーキンスのトレッキングシューズがありました。
今でもあることはあるのですが、黒や茶色ばかりです。
そう言えば去年あたり、リーバイスのスリムが全滅しました。
私が愛用していた606、616、626といった商品はことごとく絶版です。
その数年前には刺繍入りのシャツが消えました。
服や靴にはどうしても流行り廃りがありますが、
そうそう自分の好みは変わるものではありません。
それに、どんなに流行っていてもダサい物はダサいし、
必ずしも自分に似合う物が流行るわけではありません。
近年、眼鏡は横長の細いレンズばかりになってしまいましたが、
あれは縦方向の視野が狭くなるので機能的には少々問題があります。
しかも、私の顔には大きいレンズの方が似合います。
ところが、去年サングラスを買おうとしたところ、
大きなレンズのサングラスはなかなか無くて、
見つけるのが大変でした。
流行りなどという「他人の都合」には付き合っていられません。
流行を追うことの面白さは理解できますが、
ここまで来るとはっきり言って迷惑です。
流行りの物が気に入るのは、数年に一度でしょう。
だからその間の時期は、流行っていなくても引き続き使い続けたいのです。
ところで、今日行ったお店には、
20年前に流行ったコンバースのバスケットシューズが
昔と変わらぬ姿で売られていました。
あーあ、ホーキンスの青いトレッキングシューズがあれば
一緒にコンバースの赤いバスケットシューズも買ったのに。
後で母に聞いたら、コンバースのバスケットシューズは
20年前どころか、1ドルが360円だった頃からずっと変わらないそうです。
そう言えば、同じく20年前に流行ったバスケットシューズでも
アメリカンウルフは売ってなかったわ。
コンバース恐るべし。
2005年11月 9日
病葉
TARAKOさんは「ちびまる子ちゃん」の声優として有名ですが、
シンガーソングライターでもあります。
もう10数年前になりますが、
私は一時期TARAKOさんのライブにせっせと通っていました。
その頃、時々TARAKOさんが歌っていた「シルキーレイン」という曲に
「わくらば」という言葉が出て来ます。
私はこの言葉を知らず、いつも聞き流していたのですが、
後でCDが発売された時、歌詞を見て「病葉」と書く事を知ると、
なぜか急に興味が湧いてきました。
失った恋に未練を残しつつも、新しい人生に向かって歩き出そうとする
「シルキーレイン」の主人公は
「いつか夢に見た病葉」を心に抱いて生きています。
「病葉」は、前にちょっと話した「邂逅に」と関係があるのでしょうか。
「病葉」は本来病気で枯れてしまった葉の事ですが、
転じて「魚や貝など海産物の身の傷んだ部分」という意味でも使われます。
「邂逅に」出会った男女が別れれば、心に「病葉」が残る‥‥
というのはちょっと強引かも知れませんが、
「シルキーレイン」の歌詞には「ひと夏だけのピエロ」というくだりもあり、
二人はきっと「邂逅に」出会ったのだろうなどと想像してしまいます。
2005年11月 1日
邂逅に
「邂逅に」と書いて「わくらばに」と読むそうです。
どうした事か、少し前にこの言葉を知ってから、
どうも気になって仕方がありません。
何とか「邂逅に」という言葉を使ってみたいものです。
例えば、友人との会話。
「へぇ、よくそんな珍しい物を手に入れたね」
「うん、邂逅に見つけたんだ」
だめだ、なんかおかしい‥‥。
こういった古い言葉にはやはり独特の魅力があるもので、
以前、仲間内での雑談で、日常会話に枕詞を入れる試みがなされ、
「垂乳根の母ちゃんに怒られた」
「白妙のシャツのボタンが取れそうだ」
などと珍妙な言い回しをした事がありました。
そもそも「文語」は会話のための言葉ではないのに。
と、こうして硯ならぬパソコンに向かひて、
心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくりしブログに
邂逅に出会いたる訪問者あらば、
「あやしうこそものぐるほし」とぞ思ふべし。
あ、使えた。