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2009年9月 7日
【十四】富士が見えればそれで吉原 其の二
吉原駅北口交差点からちょっとだけ旧東海道を離れ、吉原駅を見てみましょう。
吉原駅
関東と関西を結ぶ鉄道路線は横浜から西へ建設が進められ、
1889年2月1日には静岡に達しました。
この時、静岡県富士郡元吉原村のこの地に鈴川駅が設けられました。
元吉原村は1955年に吉原市に編入され、翌年鈴川駅は吉原駅に改称されました。
所在地の元吉原村が、移転後の吉原宿を起源とする吉原市に編入され、
ここも吉原になったというわけです。
なお、吉原市は1966年に(旧)富士市、鷹岡町と合併して
(現)富士市になりました。
沼津から歩いて来たこの日は晴れているのに富士山だけ見えなかったのですが、
この先の名勝左富士で富士山が見えないのでは話になりません。
後で富士山がよく見える日に歩き直したので、
ここから吉原宿まではその時の写真も交えて紹介します。
吉原駅のホームからも富士山が見えます。
駅には近くの製紙工場で作られた紙を運ぶ貨車が停車中です。
吉原駅のホームから見た富士山
旧東海道に戻りましょう。
今まで海岸沿いに西へ進んでいた東海道が、
内陸の吉原宿へ向かうため、ここから北西に進路を変更します。
吉原駅前は静岡県道171号吉原停車場吉原線の起点です。
吉原宿へ向かう道で、吉原駅前を除くほとんどの部分が旧東海道です。
吉原駅北口交差点で旧東海道に入ると、ここから河合橋交差点までの150mは、
元吉原を通り抜けてきた県道170号との重複区間です。
河合橋交差点。県道170号は左へ。旧東海道は直進。
河合橋の先で道は左右に分かれます。旧東海道は左です。
右の道の方向に富士山が見えます。
河合橋の先から見た富士山
左の道に1本だけ松の木があります。
1本だけある松の木
道なりに行くと、県道171号は国道139号と合流し、車の通りが多くなります。
その先に国道1号(富士由比バイパス)の高架があります。
国道1号(富士由比バイパス)をくぐる
ここからは見えませんが、向こう側に新幹線の線路も並んでいます。
県道171号即ち旧東海道はここで国道139号から離れ、国道1号をくぐります。
この先に左富士がありますが、
国道1号をくぐったあたりでは、まだ富士山は右に見えています。
まだ右側に見える富士山
その先で道は緩やかに右へ曲がり、北西だった進行方向がほぼ真北になります。
富士山は正面に来ました。
正面に見える富士山
吉原宿が中吉原にあった頃の東海道はこの付近から西へ行っていたようですが、
分岐点の痕跡は残っていないようです。
このすぐ先に左富士神社があります。
左富士神社
ここから進路はさらに右、北北東になります。
そして左富士神社から100m、広い通りとの交差点で左富士が見えます。
吉原の左富士
松の木が1本だけあり、この下が小さな公園になっています。
ここに立派な左富士の解説板があります。
左富士の解説板
公園の先には左富士というバス停もあります。
左富士バス停
この辺り、道の左側は工場です。
残念な事に、もっともいい位置に富士山が見えそうな場所からは、
工場の建物に遮られてよく見えません。
この工場の脇で道は左に曲がり、左富士は終わってしまいます。
左富士を過ぎた所に富士依田橋郵便局があります。
名勝左富士に一番近い郵便局ですが、残念ながら風景印はありません。
左富士が見えた交差点から500m余り、平家越え橋で和田川を渡ります。
平家越え橋
この辺りは治承4年(1180年)、富士川の合戦が行われた場所です。
夜間に源氏の軍勢が動いた際、近くの沼にいた水鳥の群れが一斉に飛び立ち、
これを夜襲と勘違いした平氏の軍勢が大慌てで逃げたと伝えられています。
あくまで私の憶測ですが、敗者である平氏のエピソードは
意図的に間抜けっぷりが誇張されて伝えられているのではないかと思います。
きっと源氏の間抜け話は隠されているんですよ。
平家越え橋を過ぎれば、吉原宿の入口、東木戸跡まであと500mくらいです。
途中、富士山がよく見える場所がありました。
平家越え橋と東木戸跡の間で見た富士山
ここの道路に面した土地は更地になっているので、
いずれ何らかの施設ができて富士山が見えにくくなるでしょう。
ただし、少し市街地を離れれば富士山がよく見える場所はたくさんあるので、
無理に町中の旧東海道から見る必要もありません。
間もなく吉原宿です。
2009年9月 7日 08:38 | カテゴリー:東海道スタンプラリー