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2009年6月27日

【十二】いにしえの沼津を石で辿る 前編

境川に掛かる境川橋で三島市は終わりです。
境川橋は欄干がなければ見落としそうな小さな橋です。
現在の橋は1929年竣工。結構古いですね。

境川橋
境川橋

境川橋から右の方を見ると、
建物の間からコンクリート製の大きな樋が見えます。
これが千貫樋(せんがんどい)です。

千貫樋
千貫樋

千貫樋は境川を跨いで農業用水を通すための樋です。
創建は諸説ありますが、15~16世紀頃のようです。
清水町観光協会のサイトによれば、長さ39間(71m)、幅1間(1.8m)、
深さ15寸(45cm)、高さ1丈5尺(4.5m)の木製の樋だったそうです。
1923年の関東大震災で崩落し、
その後鉄筋コンクリートで再建されたものが現存しています。
境川橋にある解説板によれば現在の千貫樋の大きさは
長さ42.7m、幅1.9m、深さ45cm、高さ4.2mですから、
昔より短くなっているようです。

名前の由来はこれまた諸説あるようで、
・架設が巧みなため銭千貫に値する
・この用水が高千貫の田地を潤している
・建設費が銭千貫を費やした
などが伝えられているそうです。

千貫樋は現役の農業用水ですが、
近年は老朽化が進み、今後が危ぶまれているそうです。
この大正時代の樋は早めに見学しておいた方が良さそうです。

それでは境川を渡って駿河国に入りますが、ここは清水町。
目指す沼津はもう少し先です。

これより清水町
これより清水町

同じ清水でも
2003年まで存在した清水市(現・静岡市清水区の一部)とは無関係です。

160m程行くと、道の右側に石造りの常夜灯があります。
この常夜灯は弘化3(1846)年、ここの筋向かいの交差点に建てられました。
昭和初期から終戦後にかけての耕地整理でよそへ移されていましたが、
2001年に再び旧東海道沿いのこの場所に移築されました。
この先しばらくの間、沿道に同様の常夜灯が数多く見られます。

常夜灯
常夜灯

250m程行くと、三島清水郵便局があります。
せっかく前を通るので風景印を押してもらいましょう。

三島清水郵便局
三島清水郵便局

三島清水郵便局の風景印
三島清水郵便局の風景印

三島清水郵便局の風景印は
「富士山に同山を源とする柿田川に自然林と鮎」です。
同じ清水町内にある三島徳倉橋郵便局、長沢郵便局と共通の図案です。
今回はかもめ~る(夏の海)を使用しました。

400m程進むと左右にお寺があり、それぞれに一里塚があります。
京都に向かって左は宝池寺です。
こちら側の一里塚は風雨にさらされ崩れてしまったため、
1985年に修復されました。

宝池寺一里塚
宝池寺一里塚

この宝池寺側には立場もあったそうです。

京都に向かって右側は玉井寺(ぎょくせいじ)です。
こちら側の一里塚は江戸時代以来の物です。
一里塚も年月を経た物は、近年改修された物に比べ風格が感じられます。

玉井寺一里塚
玉井寺一里塚

両方を合わせて伏見一里塚と呼びます。
日本橋から29里(113.9km)です。

この玉井寺には、山号の扁額等、白隠の遺墨がいくつかあります。
白隠は江戸中期の禅僧です。
当時曹洞宗などと比較して衰退していた臨済宗を復興させ、
「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」と謳われました。
この先の原宿に生まれ、出家後は諸国を巡って修行を積んだ後、
再び原に戻っています。

伏見一里塚から200m先の八幡(やはた)交差点で国道1号を横切ります。
国道1号はここから富士市方向が、
沼津市街の北側を迂回する沼津バイパスになります。
また、沼津バイパスができる前の国道1号である県道380号がここから始まります。
実はこの先で旧東海道は県道380号になるのですが、
今は引き続き県道145号で静かな住宅街の中を行きます。

清水町内の旧東海道
清水町内の旧東海道

八幡交差点から約500m、交差店名の由来であろう八幡神社があります。

八幡神社
八幡神社

八幡神社の境内に対面石があります。
治承4(1180)年、平家の軍勢が富士川の辺りまで押し寄せて来た時、
源頼朝は鎌倉からこの地に出陣しました。
そして、奥州から駆けつけた弟の義経と対面し、
この石に腰掛けて源氏再興の苦心を語り合い、
懐旧の涙にくれたと伝えられています。

対面石
対面石

対面石
風のたよりに、みちのくにいると聞いていた、九郎義経とは、おまえか。

対面石
はい九郎義経でございます。

対面石
この頼朝が旗あげと聞いて、遠くよりかけつけてきたのか。

対面石
伊豆には兄君がおられると聞かされ、長い間、
伊豆の空をしたわしく思っておりました。

頼朝が座った石の脇に柿の木が2本あります。
義経との対面の時、頼朝が柿を食べようとしたら渋柿だったため
ねじって傍らに捨てたところ、後に芽を出しました。
それが幹を絡ませねじり合っていたので
いつしか「ねじり柿」と呼ばれるようになったそうです。
まあ、樹齢800年の柿の木が和歌山県にあるそうですから
頼朝の頃の柿の木が植わっていてもおかしくはないでしょう。
しかし、ある地元在住の方のサイトに、
昔は対面石はもう少し北の方にあったのを付近の工事の都合で移動した
という記述があるのを見つけました。
柿の木も移植したのでしょうか。
そもそも源義経は謎の多い人物で、
実は頼朝と対面した場所も特定できていないといいますから、
これ以上追求するのはやめておきましょう。

八幡神社の参道入口から200m、道の左側に少しだけ松並木があります。
長沢の松並木です。

長沢の松並木
長沢の松並木

松並木から100m余り、黄瀬川橋で黄瀬川を渡ります。
この橋を渡れば沼津市です。清水町内の歩行距離はわずか1.9km。
橋から富士山が見えました。

黄瀬川橋から見た富士山
黄瀬川橋から見た富士山

2009年6月27日 05:53 | カテゴリー:東海道スタンプラリー