2009年2月 4日
【十一】三島へ続く石畳 其の八 県道145号編
箱根の関から三島宿まで歩いた日は、
三島中央町郵便局と三島郵便局で風景印をもらって終わりにしました。
日を改めて、三島中央町郵便局前から再開。沼津を目指します。
愛宕橋の所から歩いてきた県道22号を引き続き西へ進みます。
三島中央町郵便局のすぐ先に上御殿橋という小さな橋があり、
下を御殿川が流れています。
徳川家光が上洛の際に使った御殿の東側を流れているためこの名があります。
上御殿橋から見た御殿川
なお、御殿は東海道の南100m程の場所にあったようです。
この写真で画面左側に細い道があって、
川沿いの散歩がちょっとだけ楽しめます。
郵便局から180m、本町交差点のすぐ先右側に世古本陣址の碑があります。
世古本陣址の碑
世古本陣の門は長圓寺に移築され、現在も山門として使われています。
本町交差点から北へ300m程の所にあるのですが、
この日は出発が遅かったので寄らずに先を急ぎます。
本町交差点から300m、伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線の踏切の手前で
今まで歩いてきた県道22号は右へ分かれて行きますが、
この先の吉原宿で再び出会うことになります。
そしてここから直進方向の道は静岡県道145号三島沼津線です。
伊豆箱根鉄道の踏切。電車は3000系。
伊豆箱根鉄道駿豆線は三島と修善寺を結ぶ19.8kmの路線です。
この路線は三島駅から一旦西向きに出発し、
すぐに左にぐるりと回って南東向きに三島市街を抜けて行きます。
単線ですが1時間に4本くらい走っていて、
電車の車体も綺麗で寂れた感じはありません。
(駅はローカル線っぽい感じですが)
JRの特急も乗り入れて来ます。
踏切のすぐ脇には三島広小路駅があります。
三島広小路駅。踏切の西側から。
駅前から右方向へ広い道が分岐しています。
かつて、ここ三島広小路駅から県道上を路面電車が走っていたため、
それを避けるバイパスとして造られた道だそうです。
県道の路面電車は1906年、駿豆電気鉄道の路線として
沼津駅前まで開業しました。
江戸時代まで沼津は駿河国、三島は伊豆国だったので、
駿河と伊豆を結ぶ路線と言う意味で駿豆と命名されました。
その後、現在の三島田町駅までの運行も行われましたが、
集中豪雨による橋の流失や道路整備の影響で1963年に全線廃止されました。
なお、現在の伊豆箱根鉄道駿豆線は、
もともと伊豆鉄道として開業していた路線を駿豆電気鉄道が買収した名残で
駿豆線と呼ばれていますが、
全線が旧伊豆国を走っており駿河国へは行っていません。
さて、電車の話が長くなりました。先へ進みましょう。
旧東海道は駅前の分岐を直進、かつての電車通りである県道145号です。
この先は住宅街が続いています。
三島広小路駅前の分岐から650m、境川橋という小さな橋があります。
境川橋
三島市はここで終わりです。
箱根峠から函南町・三島市を歩いた距離は13.9kmでした。
下を流れる境川は、伊豆国と駿河国の国境です。
では、引き続き駿河路を行きましょう。
06:18 | カテゴリー:東海道スタンプラリー
2009年2月 3日
【十一】三島へ続く石畳 其の七 愛宕坂・県道22号編
初音ヶ原石畳遊歩道が終わると、そこは五本松交差点です。
このまま国道1号を進んでも三島市街の南へ出ますが、
三島宿へはここから右脇へ入る遊歩道を進みます。
五本松交差点から右の遊歩道へ
初音ヶ原石畳遊歩と共にここも石畳風です。
初音ヶ原は平らな石を敷いていましたが、ここはごつごつしています。
石畳風遊歩道
遊歩道の右側は花壇になっています。
俳句の世界では、「花壇」は秋の季語らしいです。
春ではないんですね。
花壇の右から車道が遊歩道に近付いてきます。
遊歩道脇の花壇
やがて遊歩道は右から来た車道と合流し、急な下り坂になります。
ここが愛宕坂です。
1680年に箱根の石畳が整備された際にはここも石畳になりました。
道路脇の解説板によると、1769年に
この愛宕坂のうち長さ140m、幅3.6mを修理したという記録があるそうです。
現在は遊歩道からの続きで途中まで石畳風になっていますが、
舗装の下には江戸時代の石畳が埋まっているそうです。
ここは車も通るので江戸時代の状態には復元できないのでしょう。
愛宕坂。途中まで石畳風。
坂道を300m程下りていくと東海道本線の踏切があります。
箱根東坂の手前、三枚橋以来久し振りの線路です。
この踏切、「旧東海道踏切」という名前です。
旧東海道踏切。電車は313系の普通列車熱海行き。
踏切からさらに150m程の所にある愛宕橋からは
晴れていれば富士山が見えますが、
当日は曇っていたため見えませんでした。
下を流れる山田川は山中城跡の北から旧東海道の北側を流れ、
この先で大場川に合流、
最終的には沼津市街を流れる狩野川につながっています。
愛宕橋(後日撮影)
愛宕橋の70m先で左から来る道と合流します。静岡県道22号三島富士線です。
ここから南東300mの所で国道1号から分岐して来ました。
県道22号に合流
愛宕橋から400m、新町橋で大場川を渡ればようやく三島宿です。
新町橋
もちろん晴れていればここからも富士山が見えます。
新町橋から見た富士山(後日撮影)
江戸時代、新町橋の袂では晒し首が行われていました。
今は供養のための地蔵尊があります。
無縁法界地蔵尊
県道22号を進むと、町が次第に賑やかになっていきます。
そして、新町橋から600m、歌川広重の絵にも登場する三嶋大社があります。
三嶋大社
ここを過ぎると町はさらに賑やかになります。
三嶋大社から250m、三島市役所別館1階に三島中央町郵便局があります。
今回はここで風景印を押してもらいます。
三島中央町郵便局
三島中央町郵便局の風景印
三島中央町郵便局の風景印は富士山、湧水、宿場の灯籠です。
切手は、ここを歩く1箇月前に発売された平成20年国際文通週間の三島です。
時刻は2時半。予定よりかなり早いです。もう1つ行きましょう。
ここから南へ900m行くと三島郵便局があります。
三島郵便局
三島郵便局の風景印
三島郵便局の風景印は
史跡楽寿園の小浜池と楽寿館と農兵節の踊りと富士山の遠望です。
今回はかもめ~る(野良時計)を使用しました。
さて、無事三島に着いたし、実はカメラの電池も切れたので、
これで終わりにして一旦帰宅。
三島宿の出口はもう少し先ですが、続きは後日です。
16:59 | カテゴリー:東海道スタンプラリー
2009年2月 2日
【十一】三島へ続く石畳 其の六 市の山新田・塚原新田編
題目坂を過ぎ、市の山新田交差点からバス通りに入りました。
この交差点の右側に出征馬記念碑があるのですが、
道路工事のため見られませんでした。
題目坂手前の跡地に碑があった法善寺は現在この少し先にあります。
市の山新田交差点。右手前が題目坂方面。奥が京都方面。
市の山新田交差点から350m、集落を抜けた先に公民館があります。
そして、公民館のすぐ先に臼転坂(うすころげざか)の入り口があります。
公民館の先に臼転坂の入り口
臼転坂の入り口
この坂の名は、ここで牛が転がったとか
臼を転がしたとかいう言い伝えが由来になっているようです。
結構勾配があるので牛が転ぶのは分かりますが、
臼は転がさない方がいいと思います。
臼転坂
下長坂からずっと現代の舗装道路が続いていましたが、
ここは久し振りに昔の風情が残る道です。
臼転坂
臼転坂は300m程です。抜けた先でまたバス通りに合流しますが、
そこに市山新田交差点があります。
バス通りと、並行する国道1号がここで接近し、
市山新田交差点で接触しています。
交差店名は市山新田でも、ここの地名は塚原新田です。
臼転坂の出口
塚原新田の集落の中を800m程進むと、道が左に曲がっています。
本来はここをまっすぐ進み150m先で国道1号と合流するのですが、
伊豆縦貫自動車道の工事のため合流地点が100m箱根寄りに移動しており、
今は少し手前のこの場所で国道の方に曲がるコースを取ります。
左へ曲がり国道1号へ
伊豆縦貫自動車道は沼津市から下田市まで、
名前の通り伊豆半島の中央を南北に貫く自動車専用道路です。
ここ塚原にもインターチェンジができるそうです。
塚原インターチェンジ建設中
左へ曲がると80m程で塚原新田交差点です。
ここを右へ曲がります。
塚原新田交差点。右が京都方面。
元の合流地点には「箱根路」と刻まれた大きな石が残されたままです。
旧塚原新田交差点。左が京都方面。奥が旧東海道箱根方面。
元の合流地点から250mの辺りから国道1号は並木道になります。
並木道の始まり。木立の間を進むのが国道1号の車道。
ここからは京都に向かって右脇に遊歩道が設けられています。
初音ヶ原石畳遊歩道です。
ここは江戸時代の石畳を再現しているわけではなく、
松並木と共に旧東海道の雰囲気作りをしているだけのようです。
この辺りの元の東海道は、現在の国道1号上り線の位置にありました。
初音ヶ原石畳遊歩道
遊歩道に入って200m程の所に錦田一里塚があります。
日本橋から28里(110km)です。
両側の塚が残っており、国指定史跡になっています。
錦田一里塚
一里塚の近くにまた「三島市眺望地点」があるのですが‥‥
初音ヶ原からの眺め
やっぱり富士山は見えません。
遊歩道は900m程で終わり、五本松交差点に出ます。
初音ヶ原石畳遊歩道終点
ここはもう三島市街。三島宿江戸方見附まであと1kmです。
14:16 | カテゴリー:東海道スタンプラリー
2009年2月 1日
【十一】三島へ続く石畳 其の五 秋の花と実編
下長坂、通称こわめし坂を抜けて三ツ谷新田に出ました。
元和年間(1615年~1624年)に、この辺りに3軒の茶屋があり、
三つの茶屋→三ツ屋→三ツ谷と変化した地名だそうです。
下長坂から三ツ谷新田へ
集落では秋の花や実がたくさん見られました。
路上のフユサンゴ
キダチチョウセンアサガオ
マンリョウ
柿
ベゴニア
下長坂の出口から1.2km程行くと道が左に曲がっていますが、
旧東海道はその右脇から分かれて直進します。
この分岐からすぐの所に右へ入る道があり、
「三島市眺望地点」という標識があります。
ちょっと行ってみましょう。
晴れていれば愛鷹山(あしたかやま)や富士山が見えるはずなのですが‥‥
三島市眺望地点からの眺め
全然見えません。(愛鷹山はうっすら見えますが)
気を取り直して旧東海道に戻ります。
三島市眺望地点の標識がある角のすぐ先で道は左右に分かれます。
旧東海道は右。
左へ行くと三ツ谷新田を通り抜けてきた広い道に戻ってしまいます。
ここを過ぎると坂小学校の裏です。
旧東海道は右。この先は坂小学校の裏。
そこから約140m、法善寺旧跡碑を右に見つつ坂小学校の裏を進みます。
法善寺は元禄17(1704)年創建で、現在はこの先300m程の場所に移転しています。
道の左側にある坂小学校の校庭も法善寺の跡地です。
法善寺旧跡碑
法善寺旧跡碑前の道。左は坂小学校。
坂幼稚園の手前で右に入るさらに細い道があります。
ここが題目坂です。
題目坂の名は玉沢妙法華寺への道を示す題目石に由来するそうですが、
現在題目石は法善寺に移されています。
玉沢妙法華寺は坂小学校のほぼ真南、直線距離で1.5kmの所にあります。
題目坂
坂の入り口には七面堂旧跡碑があります。
七面堂旧跡碑
七面堂は足利尊氏が建立したと伝えられるお堂ですが、
この碑の側面には東海道中膝栗毛で弥次さんが詠んだ
あしかわの ぶしょうのたてし なにめでて
しちめんどうと いうべかりける
という歌が刻まれています。
多少時間に余裕はありますが、しち面倒は避けてとっとと行きましょう。
題目坂は長さ85m程で、その大部分が階段になっています。
坂が終わるとまた広い道に合流し、
その先50mの市の山新田交差点でバス通りと合流します。
この辺りから市の山新田です。
市の山新田の道標
バス通りとの合流地点にある道標によれば、
目指す三島まではあと35町(3.8km)。残り1里(36町)を切りました。
17:26 | カテゴリー:東海道スタンプラリー