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2009年1月28日
【十一】三島へ続く石畳 其の一 兜石坂編
静岡県に入りました。函南町(かんなみちょう)です。
現在の静岡県は、江戸時代には伊豆、駿河、遠江の3つに分かれていました。
ここは伊豆国だった場所です。
これより静岡県
箱根峠交差点から国道1号を京都方面に100m進むと大きな駐車場があります。
箱根エコパーキングです。
箱根エコパーキング
駐車場に向かう歩道は石畳風です。
石畳風の歩道
歩道は駐車場の脇を通って向こう側に抜けています。
入り口には木製の門があり、「箱根旧街道」の札が掛かっています。
現在駐車場になっている部分を、以前は旧東海道が通り抜けていたのでしょう。
足下に埋め込まれた表示によると、ここは関所から3km、
三島宿までは12kmだそうです。
駐車場の脇を抜ける道
250m程で駐車場を抜けます。トイレがあるのがありがたいですね。
出口の脇には静岡県の観光地図があり、
日本語、英語、簡体中国語、繁体中国語、ハングル、スペイン語で
「静岡県へようこそ」と書かれています。
駐車場出口
駐車場を出た所の道標には「箱根関所跡 2.5km」と書いてあります。
あれ?
後で調べたら、復元された関所から旧道経由で駐車場出口まで2.5km、
箱根関所資料館から国道1号経由で駐車場入り口まで3kmでした。
この場所は国道1号から分岐する道路がある交差点です。
旧東海道は分岐する方の道路を進みます。
駐車場の裏から続く東海道
ここから暫くの間、函南町と三島市の境界に沿って進むことになります。
後で地図を見て確認したら、駐車場を出て30m程の所で
境界を跨いで三島市側に入っていました。
300m程進むと、左側の藪の中へ入っていく道があります。
藪の入り口
入り口の脇にある道標によると、京都まであと100里だそうです。
是より京都百里
かつてこの辺りには茨(いばら)が生い茂っていたため、
茨(ばら)ヶ平と呼ばれていたそうです。
藪の奥に入ると東屋があり、道が左右に分かれています。
旧東海道は右。ここから兜石坂です。
笹のトンネルの中へ入って行きます。
この辺りで再び境界を跨いで函南町側に戻ります。
右が旧東海道
兜石坂に入りました。道は下り坂です。
落ち葉に隠れて見えづらいですが、ここも石畳が敷かれています。
兜石坂
暫く進むと右側に杉が植えられていました。
道の右側が三島市、左側が函南町です。
右に杉林
その先左側に兜石跡の碑があります。
かつてここに兜石と呼ばれる大きな石がありました。
昭和の初め、近くを通る国道1号の拡張工事の際に邪魔になり、
別の場所へ移動されました。
だから、兜石坂なのに今は肝心の兜石がありません。
兜石跡の碑
その先で、旧東海道は一旦国道に出ます。
ここで兜石坂は終わりです。
兜石坂から国道に出る
ここは国道1号のヘアピンカーブが始まる所です。
このカーブが旧東海道を切り取るように通っているのですが、
交通量が多く、歩道橋も横断歩道も無いので向こうへ渡れません。
兜石坂から国道に出た所で道の向こう側を見る。
恐らく元はあそこへ道が続いていたのでしょう。
再び国道と交差する位置まで、止むなく国道を歩きます。
国道1号のヘアピンカーブ
国道に入って200m弱、ヘアピンカーブを半分とちょっと進んだ所に
接待茶屋バス停があります。
そこから道路の向こうを見ると、何やら小さな屋根が見えます。
国道の向こうの小さな屋根
かつてこの辺りに、バス停の名前の由来となった接待茶屋がありました。
箱根東坂の割石坂にもありましたが、接待茶屋とは、
旅人に無償で食事や飼葉を提供する施設です。
困難な箱根越えを支援するために設けられた施設ですが、公営ではなく、
寺院や商人が運営資金を出していました。
そのため、資金難で閉鎖されては別人による再開の繰り返しだったそうです。
やがて鉄道が開通し、自動車も普及して、接待茶屋はその使命を終えますが、
閉鎖は意外と遅く1970年まで続いていたそうです。
国道の向こうにある小さな屋根の下には、
末期の接待茶屋を支えた鈴木家の2人の胸像があります。
しかし、こちらから近付く事はできません。
恐らくそこへ続く道がどこかにあると思うのですが、わかりませんでした。
聞く所によると、この胸像は鈴木家の関係者が個人的に建てた物のようです。
史跡として整備されないのはそのためでしょうか。
なお、接待茶屋については三島市のウェブサイトに詳しい解説があります。
そして、この接待茶屋バス停のそばから再び細い山道に入ります。
2009年1月28日 06:20 | カテゴリー:東海道スタンプラリー