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2008年11月28日
【十】箱根アタック 其の四 畑宿・橿木坂編
畑宿に着きました。ここは間の宿です。
湯本から元箱根まで約7kmの山道を休まず歩くのは大変です。
畑宿には大名の休憩に備えて本陣もありましたが、
間の宿であり、旅人の宿泊は禁じられていたため旅籠はありませんでした。
畑宿の入り口で振り返ると、右に大澤坂の出口、
左に湯本・小田原方面への県道732号が見えます。
車道は畑宿に入ると狭くなり、1車線になっています。
畑宿の入り口
畑宿には寄木細工のお店がいくつもあります。
これは、あるお店の店先に置いてあった桂神代です。
寄木細工の材料の1つで、黒色系の有色材です。
このお店は2階が工房で見学もできるようですが、先を急ぎます。
(こればっか)
桂神代
畑宿の集落内も道はずっと上り坂です。
畑宿
300m行くと県道は右に急カーブを描いています。
歩行者は正面の木立の左脇へ入っていく事ができます。
ここで旧街道は畑宿を出ます。
畑宿の出口
県道から70m程でしょうか。畑宿の一里塚があります。
これは上方に向かって左側の塚です。
畑宿一里塚 左の塚
そしてこちらが右側の塚です。
畑宿一里塚 右の塚
あれ、確か程ヶ谷と戸塚の間にある品濃の一里塚の説明板に
両側の塚が残っているのは神奈川県内で唯一と書いてありましたよ。
ここはまだ神奈川県ですよね。
ここ畑宿の一里塚の説明板には
「石畳の両側に残る畑宿の一里塚は、江戸日本橋から二十三里目に当たり、
東海道中唯一その形態を留めるものです。」
と書かれています。県内どころか東海道中唯一だそうです。
とにかく、ここが日本橋から23里(90.3km)の一里塚です。
一里塚の間の道には石畳が敷かれ、森の中へ続いています。
一里塚付近の石畳
一里塚から100m、森の中の石畳ですが、両脇に欄干が見えます。
実はここ、県道732号を跨ぐ橋で、下から車の音が聞こえます。
県道732号を跨ぐ橋
この辺りの坂は西海子(さいかち)坂という名前です。
この写真は坂の上から下の方を向いて撮りましたが、
中央に左下から右上に向かって斜めの石の列があります。
これは画面外右側の谷へ向かって排水するための工夫です。
箱根の石畳のあちこちで見られますが、ここは特にわかり易いです。
石畳の排水溝
西海子坂は階段で県道に出て終わります。
西海子坂の出口
県道はここから「七曲り」と呼ばれる区間に入ります。
車道は長さ1.2km、10.1%の上り勾配で、途中2つの直角カーブを挟んで
11回のヘアピンカーブで樫の木平へ上っていきます。
歩道は石畳風になっています。
七曲りの石畳風歩道
1つ目のヘアピンを過ぎると、歩道は2つ目のヘアピンを通らず
この階段でショートカットです。
2つ目のヘアピンをショートカットする階段
その先、2つの右直角カーブを挟んで3つのヘアピンを通ります。
この間、県道732号は併走する箱根新道と3回交差します。
そして、4つ目のヘアピンカーブの所から左脇へ階段が出ています。
これこそ、箱根八里最大の難所と言われる橿木坂です。
橿木坂の入り口
坂と言っても現在は階段になっています。
新編相模国風土記稿には「峭崖に橿樹あり、故に名を得」とあるそうです。
それでは、脳内BGM「箱根八里」のリズムに合わせて上りましょう。
県道がヘアピンカーブで1往復して150m程の距離で上る高低差を
橿木坂はほんの30m程の階段で上ってしまいます。
そのまま次のヘアピンに沿って半分程進むと一旦県道に出ますが、
これで終わりではありません。
県道を10m進めばまた階段です。
橿木坂の続き
「東海道名所日記」には橿木坂について次のような記述があるそうです。
けわしきこと、道中一番の難所なり。おとこ、かくぞよみける。
「橿の木のさかをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの涙こぼるる」
それじゃ橿木坂じゃなくて椚坂です。
50m程階段を上ると分岐点に出ます。
橿木坂の始まりからここまでの130mで、高低差が40m程あるようです。
オフィスビル10層分を階段で上がったようなものです。
昔勤めていた職場では6階の仕事場まで階段で上がりましたが、
その前の職場で12階の事務室まで行くのはさすがにエレベーターでした。
右下には県道のヘアピンカーブが見えます。
まっすぐ階段を上れば樫の木平、左は目指す元箱根方面です。
階段を行けば樫の木平。左は元箱根。
私の行く道はもちろん左。先を急ぎましょう。
元箱根への道
30m程行くと右手に階段があり、見晴茶屋の看板が出ていました。
見晴茶屋への階段
そう言えば、お昼ご飯がまだです。やっぱり寄っていきましょう。
2008年11月28日 16:09 | カテゴリー:東海道スタンプラリー