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2008年11月25日
【十】箱根アタック 其の一 湯本編
箱根登山鉄道の入生田踏切を過ぎ、箱根町に入りました。
踏切のすぐ先に駒留橋という小さな橋があるのですが、
後で調べたらここが小田原市と箱根町の境界のようです。
踏切から100m程で国道1号に合流しますが、
その少し手前に日本初の有料道路の説明があります。
それによれば、先程通った板橋からこの先の湯本まで、
4.1kmの有料道路が1875年に開通したそうです。
と言っても全く新規に道を造ったわけではなく、江戸時代の東海道の幅を拡げ、
2箇所の急坂を勾配の緩い坂に付け替えて、人力車等が通り易くしたものです。
開通から5年間、人力車1銭、大八車7厘、小車3厘の通行量が徴収されました。
実は、これより古い江戸時代にも有料道路は存在していたようです。
大分県にある長さ342mのトンネル「青の洞門」は1763年開通で、
当初は通行料を徴収したという話が伝わっています。
箱根の方は、我々が「有料道路」という言葉から連想する
近代の有料道路として最初の物ということでしょう。
国道1号に合流
国道1号に合流後、わずか130mで旧東街道は再び右へ分岐します。
右の細い道が旧東海道
でも600m弱でまた国道1号に戻ります。
また国道1号に戻る
国道の右上を箱根登山鉄道の線路が通っています。
箱根登山鉄道。電車は小田急8000形。
左側の歩道に大名行列をモチーフにした柵があります。
大名行列の柵
合流から450mで三枚橋交差点です。
この交差点から左へ、神奈川県道732号湯本元箱根線が始まります。
湯本からまっすぐ芦ノ湖を目指し、湖畔で再び国道1号に合流する道です。
ここから暫くこの道が旧東海道です。
ちなみに直進すると箱根登山鉄道の箱根湯本駅です。
三枚橋交差点
三枚橋交差点から県道に入るとすぐに、三枚橋で早川を渡ります。
早川は芦ノ湖を水源とし、小田原城の南1km程の所で太平洋に注ぐ川です。
小田原宿の上方見附からここまで早川の左岸を歩いて来ました。
三枚橋
三枚橋を渡ると温泉街へと続く上り坂が始まります。
この坂の途中、三枚橋から350mの所に箱根湯本郵便局があります。
宿場はまだ先ですが、ここでも風景印を押してもらいましょう。
箱根湯本郵便局
箱根湯本郵便局の風景印
箱根湯本郵便局の風景印は湯本温泉郷です。
今回はかもめ~る(ラジオ体操)を使用しました。
郵便局の先、湯本小学校の脇を通り過ぎると、
左手に白山神社、右手に早雲寺があります。
この辺りから温泉旅館が目立つようになります。
道は狭いのですが車が多く、路線バスや旅館の送迎バスも頻繁に通ります。
郵便局から600m程の所にある正眼寺は、
大磯で話題に上った曾我兄弟ゆかりのお寺です。
正眼寺の入り口。右の柱に「曾我兄弟遺跡」と書かれています。
いろいろ見たい気もしますが、この先の山道が心配です。
夕方までに箱根の関に着けるよう先を急ぎます。
正眼寺の少し先に江戸から22里の一里塚があるのですが見落としました。
その先すぐ、台の茶屋というバス停を過ぎると、
ちょっとわかりづらいのですが右下へ下りていく道があります。
旧東海道はここを右です。
台の茶屋分岐点。この先石畳。
坂を下りると石畳が始まります。
土がむき出しの山道は、雨や雪の後は大変な悪路になり、
旅人は膝まで泥に沈みながら歩いたといいます。
やがて歩き易くするために竹を敷くようになりましたが、
毎年敷き替えなければならず、費用も労力も馬鹿にならないので、
耐久性の高い舗装として1680年に石畳が敷かれました。
林の中へと続く石畳
現在残っている部分や昭和時代に復元された部分だけでも、
箱根の石畳の総延長はかなりの長さになると思います。
また、場所によって完成度に差があるので、
恐らく一度に全部が整備されたわけではないでしょう。
この台の茶屋付近の石畳は
玄関へのアプローチなどに使われる飛び石を密集させたような感じで、
ごつごつして歩きにくいです。
坂を下り切ると、小さな橋で猿沢を渡ります。
猿沢はこのすぐ近くで、早川の支流、須雲川に注いでいます。
猿沢を渡る猿橋
石畳の入り口にある解説板によると、ここの石畳は延長255mとのことです。
橋を渡ると上り坂で、再び県道に合流します。
石畳出口
合流地点に福寿院(箱根観音)がありますが、失礼して先を急ぎます。
2008年11月25日 13:40 | カテゴリー:東海道スタンプラリー