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2008年9月17日
【九】小田原町名巡り 其の二
これより小田原宿
小田原宿に入りました。
「相模国風土記稿」によれば、江戸方見附の外、南側に
日本橋から20里(78.5km)の一里塚もあったそうです。
現在は両方の名称を刻んだ1基の石碑があるだけです。
江戸口見附並びに一里塚跡
江戸方見附跡から450m、新宿(しんしゅく)交差点で、
旧東海道は左に曲がります。
新宿町は江戸時代前期、それまでの城塞都市の構造を改めて
東海道のルートを変更した際にできた町だそうです。
新宿交差点。直進する広い道は国道1号。旧東海道は左。
新宿町から鍋町へ向かう道。アジサイが咲いています。
新宿交差点から70m程の所に「鍋町」の標識があります。
その名の通り、鍋などを作る鋳物師が住んでいた町といわれています。
鍋町
旧東海道は鍋町の標識のすぐ先を右に曲がります。
今度の町名は「万町」と書いて「よろっちょう」と読みます。
紀州藩の飛脚継立所があった場所だそうです。
万町
小田原おでんのお店がありました。
名産のかまぼこの売り上げが減少傾向にある中、
地元の食材を生かした新名物として小田原おでんが考案されました。
からしは使わず、小田原名産の梅を使った梅みそをつけて食べるのだとか。
小田原おでんのお店
次は「高梨町」です。
ここは甲州道の分岐点で、町内には問屋場も置かれていました。
高梨町
その次は「宮前町(みやのまえちょう)」です。
ここには高札場、本陣、脇本陣があり宿場の中心でした。
宮前町
宮前町の清水金左衛門本陣があった場所に
「明治天皇宮ノ前行在所跡」の碑があります。
明治天皇はここに5回宿泊しています。
「明治天皇宮ノ前行在所跡」の碑。
碑面には「明治天皇小田原行在所址」と刻まれています。
その先の本町交差点で、右から国道1号が合流します。
そこにある古い建物は「小田原宿なりわい交流館」です。
1932年に建てられ、元は網問屋だったものを改装し、
2001年から無料休憩所や市民活動の発表の場として活用されています。
残念ながら私は時間の都合で寄れませんでした。
小田原宿なりわい交流館
旧東海道は国道1号と合流して本町交差点を直進しますが、
その前に郵便局に寄るためここを右折します。
470m程歩くと小田原郵便局があります。
小田原郵便局
小田原郵便局の風景印
小田原郵便局の風景印は小田原城と梅です。
切手は小田原城の天守閣です。
大磯から歩いて来たこの日はここで一旦帰宅することにして、
郵便局のさらに先にある小田原駅へ向かいました。
続きは回を改めて話すことにしましょう。
2008年9月17日 16:06 | カテゴリー:東海道スタンプラリー