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2008年6月 2日
【七】歌川広重が見た平塚
目の前には相模川と、そこに架かる馬入(ばにゅう)橋。
ここで茅ヶ崎市から平塚市に入ります。
これより平塚市
馬入橋の途中に国道1号の距離標があります。
日本橋から62kmですが、旧東海道はこの辺りで約58kmです。
隣を走る東海道本線も相模川を渡る橋の上で東京駅から62kmです。
国道1号は相模川の所で日本橋から62kmです。
東海道本線も相模川の所で東京駅から62kmです。
電車は普通列車小田原行き。最新型のE233系。
橋を渡ると平塚の市街地に入る所で道が二手に分かれます。
国道1号は右へ、旧東海道は直進です。
この近くに江戸から15番目の一里塚がありましたが、今は説明板だけです。
平塚市街の入口。国道1号は右へそれ、旧東海道は直進します。
そこから1km程進むと、JR平塚駅に通じる広い道を横切ります。
そして、さらに進むこと600m、平塚宿江戸方見附があります。
石垣の上に盛り土をして竹矢来を組んだバリケードが再現されています。
平塚宿江戸方見附
見附から100m程の所に大きなクスノキがあります。
1895年3月28日、当時ここにあった平塚小学校の校庭に種がまかれ、
6月15日に双葉が出たという記録が残っているそうです。
平塚市見附町のクスノキ
クスノキのそばに崇善公民館があります。
帰宅後に調べたところ、1950年にはここで平塚市議会が開かれたそうですが、
もともとは何だったのか、いつ頃の建物なのかよくわかりません。
崇善公民館
そこからさらに300m進むと、平塚本宿(ほんしゅく)郵便局があります。
今回はここで風景印を押してもらいます。
平塚本宿郵便局
平塚本宿郵便局の風景印
平塚本宿郵便局の風景印は
七夕竹飾り、高麗山、旧東海道を表す松並木、富士山の遠望です。
切手は慶事用50円切手です。
平塚で見つけたアジサイ
日本橋から春の花を愛でつつ旅をしてきましたが、ここで夏の花の登場です。
郵便局からさらに300m進むと、平塚市消防団第一分団があります。
ここは西組問屋場跡です。
平塚宿は一般の旅行者より大名などの宿泊が多い宿場でした。
そのためでしょうか、参勤交代が行われるようになると業務が激増し、
1箇所の問屋場では対応しきれなくなりました。
そのため、平塚宿の東にあった八幡新宿を平塚宿に編入し東組問屋場を増設、
従来からの問屋場を西組問屋場として対応しました。
平塚市消防団第一分団。西組問屋場跡です。
1945年7月16日、多くの軍需工場があった平塚市が空襲の標的となりました。
当時の市域は平塚駅から概ね2kmの範囲でしたが、
その面積の約8割を消失する甚大な被害を受けました。
恐らく江戸時代の宿場町の名残も、空襲でほとんど消失したのでしょう。
そんな事を考えつつ、消防団の建物に近付こうと歩道橋を渡ると
大磯へ続く道の向こうに見覚えのある山影が見えます。
歩道橋から見た高麗山
あれはまさしく、東海道五十三次の平塚に登場する高麗山(こまやま)です。
日本橋から東海道を歩いてきて、ここで初めて感動しました。
歌川広重さん、あなたの描いた風景は170年の間にすっかり変わりましたが、
高麗山だけは変わりませんよ!
(神奈川台場の坂の事は忘れてください)
消防団のシャッターに歌川広重の平塚の絵がありました。
ここで少し寄り道をします。
消防団の所を右に曲がると、突き当たりに要法寺があります。
ここを左に曲がった先の右手、西仲町公園に「平塚の塚」があります。
そばに立てられた解説板によると、こんな謂れがあります。
857年、桓武天皇の曾孫に当たる女性政子が東国へ向かう旅をした折り、
この地で亡くなり、埋葬されて塚が築かれました。
その塚の上が平らになったので「ひらつか」と人々から呼ばれるようになり、
「平塚」という地名の元になったといいます。
平塚の塚、というよりむしろ平塚。
柵の中は盛り土で、確かに上が平らです。
しかし、気持ちはわかりますが「平塚の塚」という名前はどうでしょう。
現実にはこれ自体が「平塚」なのに、
この名前ではどこかに「平塚の平」も存在しそうです。
しかも、帰宅後に調べてみると、
解説板で政子の父親即ち桓武天皇の孫とされる高見王は
存在したかどうかも怪しい謎の人物だそうです。
高見王がいなければ政子もいなかったことになります。
(いや、別の人物の娘として政子自身は存在したのかもしれません)
そうなると、地名の根拠もなくなってしまいます。
(いえ、政子の墓でなくても平らな塚があるのは事実です)
平塚市はどうなってしまうのでしょう。
(今更街は無くなりません)
大丈夫か、平塚。
(大丈夫です)
平塚市消防団第一分団前の分岐点。右が旧東海道です。
さて、消防団の所まで戻って続きを歩きましょう。
ここまで歩いてきた道は、引き続きまっすぐ西を目指します。
旧東海道は消防団の前でこの道から右へ分かれます。
そして、300m余り住宅街を進むと、
平塚市街の入口で別れて北へ迂回した国道1号と合流します。
ひょっとして、七夕祭りの時に交通規制がかからないように
こうして中心街を避けているのでしょうか。
国道1号に合流。右が旧東海道。奥が東京方面。東京まで67kmです。
国道1号に合流して100m、古花水橋交差点に出ます。
ここから300m余り先に花水川を渡る花水橋がありますが、
かつて川はこの辺りを流れており、交差点名に名残をとどめています。
先程消防団の前で分かれた道がまっすぐここまで来て合流します。
ここに平塚宿の上方見附があります。
平塚宿上方見附
平塚宿を出ると、平塚市もここで終わりです。次は大磯町に入ります。
2008年6月 2日 21:50 | カテゴリー:東海道スタンプラリー