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2008年5月26日

【四】程ヶ谷は細長い谷 後編

元町橋を渡り、昔の程ヶ谷宿だった元町地域を抜けました。
このまままっすぐ行けば道はまた国道1号に合流しますが、
旧東海道はその少し手前で右へ曲がり、権太坂に入ります。

権太坂の入り口
権太坂の入り口

江戸から東海道を西へ向かう場合、権太坂は最初の難所です。
こういう難所を乗り切るコツは、
脳をトランス状態にして、疲労に気付く前に上り切る事です。
元町ガード交差点の所にあった自動販売機で飲み物を買っておき、
脳内で「できるかな」のテーマ音楽を再生しながら
一定の速さでどんどん上ります。
春の花が咲いています。
ちなみに私はノッポさんと同じ高校を卒業しました。(本当です)
どうでもいいですね。

権太坂
権太坂

途中で横浜新道を跨ぎます。
写真にはありませんが、横浜ランドマークタワーも見えました。

横浜新道
横浜新道

上り始めて20分弱、約1km進みました。この辺りが権太坂のてっぺんです。

権太坂頂上付近
権太坂頂上付近

そこから250m程行くと突き当たりです。
旧東海道は右ですが、ちょっと左の方へ寄り道をします。

権太坂の先の突き当たり
旧東海道は突き当たりを右。投げ込み塚の碑は左。

ほんの数分歩くと、投げ込み塚の碑があります。
江戸を早立ちした人は、その日のうちに戸塚を目指しました。
ここ権太坂は戸塚に着く手前の難所。
疲労が蓄積して行き倒れになる人も少なくなかったといいます。
その行き倒れの人を投げ込んだと言われる井戸がありました。
近年、横浜市の行った発掘調査で、
実際に投げ込みが行われていた事が確認され、
ここに供養碑が建てられました。
なお、投げ込み井戸はここにあったわけではないそうです。

投げ込み塚の碑
投げ込み塚の碑

さっきの突き当たりまで戻って今度は右へ。
200m程先の大きな木がある所が境木立場跡です。
立場とは宿場間に設けられた休憩所です。
ここは江戸方から来ると権太坂、
上方から来ると品濃坂・焼餅坂を上り切った場所なので
休憩できる場所があったわけです。

境木立場跡
境木立場跡の大木

そしてここで保土ヶ谷区から戸塚区に入ります。
今はどちらも横浜市ですが、江戸時代はここが武蔵国と相模国の国境でした。
それ故「境木」という地名なのです。

武相国境の標柱
武相国境の標柱。2005年に立てられました。
後ろの階段を上ると境木地蔵尊です。

ここ境木にある境木地蔵尊にはこんな言い伝えがあります。

鎌倉の腰越海岸に流れ着いたお地蔵さんが、
「江戸へ行きたい。もし途中で動かなくなったらそこで降ろしてくれ」
と言うので、腰越の漁師たちが荷車に乗せて運ぶことにしました。
ところが、境木まで来たら荷車を引いていた牛が動かなくなったので、
初めに言われたとおりお地蔵さんをそこへ置いて帰りました。

すると今度はお地蔵さんがお堂を建てて欲しいと言い出すので、
境木の村人たちがお堂を建てたら人々がお参りに来るようになり、
境木は賑やかな場所になりました。

石のお地蔵さんが流れてくるというのもにわかには信じがたいし、
実のところ運ぶのが予想外に大変でここで諦めたか、
最初から境木に安置するつもりだったのかもしれませんが、
そんな伝説の残るお寺があります。

次の戸塚宿までは5km程です。

2008年5月26日 06:38 | カテゴリー:東海道スタンプラリー