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2008年5月24日
【四】程ヶ谷は細長い谷 前編
神奈川宿の、広重の浮世絵にも描かれた台町の坂を上りきると、
右手に神奈川台関門跡の碑があります。
ここまでが神奈川宿です。
坂を下って行くと、上台橋という橋があります。
下は横浜駅西口から延びている道路です。
その先で神奈川区から西区に入り、やがて道が左右に分かれます。
県道への入り口
左は県道横浜環状1号、右は県道と並行する細い道です。
資料によっては右の道を旧東海道としている物もありますが、
西区では左の環状1号を旧東海道としているようです。
西区の東海道の目印
西区内の東海道は路面にこんな目印が埋め込まれています。
浅間神社への道
県道が新横浜通りと交差する所が浅間下交差点です。
交差点の所にある公園の先で東海道は県道と別れて右折し、
1本裏の通りに入ります。
先程県道に入らず右へ行った道とここで合流します。
浅間神社
浅間神社の入り口です。
ここにある洞窟は富士山に通じているという伝説があり、
かつて源頼朝も調査を行ったとか。
実際は横穴式古墳だそうです。
芝生の追分
700m程行くと芝生(しぼう)の追分です。
右の道を行くと300m程先で国道16号と合流し、八王子方面へ向かいます。
旧東海道は直進です。
ここから80メートル余りは旧東海道が西区と保土ヶ谷区の境界です。
西区内の東海道は1.5km程で終わります。
松原商店街
追分のすぐ先から松原商店街に入ります。
昔ながらの商店街ですが、結構賑わっています。
商店街を抜けた所で国道16号を横切ると、
今度はシルクロード天王町商店街です。
商店街に入るとすぐに程ヶ谷宿の江戸方見附跡があります。
元は盛り土などがあったようですが、今は説明板だけです。
ここから宿場に入ります。
江戸方見附跡の解説板
少し行くと右手に橘樹(たちばな)神社があります。
ここはかつて牛頭(ごず)天王社という名前で、
この辺りの地名である天王町の由来になっています。
橘樹神社
その先で帷子川を渡る橋が帷子橋です。
帷子川がここを流れるようになったのは戦後の事で、
以前はもう100m程先に帷子橋がありました。
帷子橋
商店街を抜けると相模鉄道の天王町駅があります。
相模鉄道はもともと
現在のJR東日本相模線(茅ヶ崎-橋本)を運行していた会社で、
1921年に茅ヶ崎-寒川間が開業、1931年に橋本まで全通しました。
その後、1943年に神中鉄道(横浜-厚木-中新田口)を吸収合併しましたが、
1944年には軍需輸送の都合で茅ヶ崎-橋本間を国に買収されました。
その結果、現在の相模鉄道の路線網は
旧神中鉄道の路線から発展したものになっています。
天王町駅
旧東海道が天王町駅の下をくぐり抜けた先に小さな公園があります。
ここはかつて帷子橋があった場所で、
橋の欄干と常夜灯を模したモニュメントがあります。
広重の浮世絵にある新町橋はここにあった橋です。
旧帷子橋跡
木の橋を渡り賑わう宿場へと続く江戸時代の道を想像しつつ先へ進みます。
2008年5月24日 10:31 | カテゴリー:東海道スタンプラリー