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2008年4月 3日

寝台特急さくら

私が住む東京の外れでも桜が咲いたのを見て、
かつてJRに「さくら」という名前の列車があったのを思い出しました。

1991年の夏、私は友達と高知県へ遊びに行ったのですが、
仕事の都合で先に1人で帰ることになりました。

仲間と別れて高知県の中村駅から特急に乗ると、
瀬戸大橋の手前、香川県の坂出駅で、
東京行きの寝台特急「瀬戸」に乗り継ぐ事ができます。
ところが、この旅行の話が出たのが1週間前。
夏休み真っ最中のこの時期、既に瀬戸は満席でした。
仲間たちは往復とも青春18きっぷなので、
指定席の予約は気にしていなかったのです。

そこで、坂出駅で岡山行きのマリンライナーに乗り換えて、
九州方面から来る東京行きの寝台特急に乗る事にしました。
しかし、あさかぜ2号(下関発)、あさかぜ4号(博多発)、富士(南宮崎発)、
はやぶさ(西鹿児島発)、みずほ(熊本・長崎発)いずれも満席。
最後に東京に着くさくら(長崎・佐世保発)だけ空席がありました。

とにかくこれに乗らないと帰れないので切符は買ったものの、
この列車は岡山に止まらないので、広島から乗ることになりました。

中村駅まで仲間が見送りに来てくれました。
ここから1人で高松行きの特急「しまんと」に乗ります。
前方が見渡せる一番前の席が空いていたのでそこに陣取りました。
中村を出る時はがらがらだった車内も次第に混んできました。

特急「しまんと」
中村発高松行き特急「しまんと」

坂出駅で下車。
マリンライナーを待っていたら、高松発東京行きの瀬戸が来ました。
満席で乗れなかった列車です。
岡山から乗った夜の新幹線もがらがらでした。
退屈なので、車内の公衆電話から電話をかけました。
(まだ携帯電話が普及していなかった時代です)
相手は体調不良のため今回の旅行に参加できなかった友人です。

岡山から乗った新幹線は、確か広島まで行ける最終列車でした。
それでも、広島駅で東京行きの「みずほ」を見ることができました。
「さくら」の1本前を走ります。これも満席で乗れなかった列車です。
しかも、「さくら」は14両編成なのに「みずほ」は10両編成。
どうしてこっちを14両にしてくれないんでしょう。

寝台特急「みずほ」
広島駅に停車中の寝台特急「みずほ」

「さくら」が広島を出るのは午前0時10分。
乗り込んだら、案の定周りの人々はみんな寝ていました。
私も買っておいた夜食を食べてとっとと寝ます。

1979年夏、母が豊橋から東京までブルートレインに乗せてくれると言いました。
豊橋に止まる列車は「さくら」と「銀河」だけでした。
できれば特急の「さくら」に乗りたかったのですが、豊橋を通るのは朝7時台。
夜が明けてからの乗車ではつまらないので、
夜中の3時過ぎに豊橋を通る急行「銀河」に乗ることにしました。
そんな時間に乗り降りできる寝台列車があったとは今考えるとすごいのですが、
昔はそんな需要もあったのかもしれません。

さて、12年前に乗れなかった「さくら」のベッドの中で豊橋を通り過ぎ、
次の浜松を過ぎた辺りで食堂車へ行きました。
和洋2種類の定食があるので洋食を注文したら、
フライドエッグとスクランブルエッグどちらがいいかと聞かれました。
私はフライドエッグが何だか知らなかったのでスクランブルにしました。
ぼーっと外を見ながら食べて、静岡を過ぎる辺りまでいたでしょうか。

食後は退屈なので、また車内の公衆電話から友人に電話。
今度は、丁度今列車が走っている静岡県に住んでいたことがある友人です。
その後は、通路の折りたたみ椅子に座って外を眺め、
横浜駅で列車を降りました。

寝台特急「さくら」
横浜駅を発車する寝台特急「さくら」

横浜駅での寝台特急の乗り降りはその時だけです。
その「さくら」から降りた横浜駅7番乗り場で、
16年半後、今度は「銀河」の最終列車を撮影しました。
どうも私の趣味活動では「さくら」と「銀河」が微妙につながっています。
2005年に「さくら」が廃止される時は見に行けなかったんですけどね。

あの時寝台券が取れなかった列車の多くは後に廃止されました。
今は「瀬戸」が「サンライズ瀬戸」になり、
「富士」と「はやぶさ」が1本にまとめられて残っているだけです。
飛行機のディスカウントチケットが無かった時代、
人々は、設備が古くても相対的に料金が安い寝台特急に喜んで乗っていました。
やっぱり、今の寝台特急は料金が高すぎるんですよ。

2008年4月 3日 04:17 | カテゴリー:のりもの