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2006年1月28日

新宿の青い木

JR新宿駅西口から西へ、高層ビル街に向かって伸びる地下道を歩くと、
階段も坂も無いのにいきなり地上に出ます。
ここから階段を上がり、高層ビルの間を抜けてさらに階段を上がると、
またしても地上。
40年余り前、ここにあった淀橋浄水場では、
エッシャーの絵のように水がぐるぐると回り続けていたに違いありません。

近年、どうも都会の喧噪を生理的に受け付けなくなり、
特定のお店に行く時以外は新宿駅周辺を歩くこともなくなりました。
しかし、昨日は電車の待ち時間がかなりあり、
遅い時間でいつものお店が閉まっていたので、
久し振りに歩いてみることにしました。

明るい地下道が突然終わると、
暗い夜空から無数の四角い明かりが視野に飛び込んで来ます。
「住友ビルってこんなに小さかったっけ」
まさか、大人になったから小さく見えるわけでもないでしょう。

三井ビル前の広場の木は、青く光っていました。
どうしても好きになれなかったはずの、街路樹に巻き付けられた電飾に、
新宿駅から歩いて来た後に出会うと、なぜかほっとしました。

どうしようもなく気忙しい大都会にも、確かに心が休まる空間があり、
一見無駄のような電飾も、確かに人の心を癒し、
そして、大都会も電飾も鬱陶しい物と決めつけていた私にも、
確かな皮膚感覚が残っていたようで‥‥

ほんの少しだけ、私の新宿の地図が広くなったような気がします。

23:08 | カテゴリー:街への思い

2006年1月21日

0と1の間に

世の中にデジカメが普及してもずっとフィルム撮りのカメラを使っていた私ですが、
ビデオカメラを買ってからは写真もそれで撮るようになり、
いつの間にかフィルムを使わなくなっていました。

去年の5月、旧古河庭園のライトアップを撮影するために
久し振りにフィルムを使いました。
僅か1時間半の撮影でしたが、ずいぶん疲れました。
一体何にエネルギーを使っているのでしょう。

今年の正月、横浜で船の写真を撮りました。
気が向いたので、またフィルムを使ってみる事にしました。
一人でただ船を撮るだけでしたが、いつになく楽しい撮影でした。
デジカメでここまで楽しめないのはなぜでしょう。

以前私は、写真を撮る時、うまく撮れたかどうかは
シャッターボタンを押す時の抵抗でわかりました。
ボタンの動きが重く感じる時は成功です。
その事自体はきっと気のせいでしょう。
しかし、そう感じていたのは事実で、潜在意識が何かを捉えていたのだと思います。

私自身、決してデジカメを嫌っているわけではありません。
「その場の画像を記録する装置」としては非常に優れているとさえ思います。
しかし、「写真による表現に快楽を求める人種」の立場からは
フィルム撮りのカメラと比べると明らかに何かが欠落しています。
ただ、その欠落している「何か」は、恐らく潜在意識で捉えるものなのでしょう。
残念ながら説明不能。そこが歯痒いのです。

そこで、こう説明することにしました。

デジタル技術は全ての物事を0と1で処理します。
この世界は、0と1の間が多くの物で満たされていますが、
人は0と1の間にあるものを見る事ができないので問題ありません。

しかし、実は見えなくても感じる事ができるのです。
それを感じた時、人は感動します。

「アーティスト」は0と1の間にあるものを見ることができます。
だから、人を感動させることができる反面、
普通の人から見ると「変な人」に見えるのです。

どうです。20年前にCDによってアナログディスクが淘汰された時の事も
これで説明できるでしょ。

23:38 | カテゴリー:よしなしごと

2006年1月14日

敬意の夜行列車

母がお年玉と称して本を買ってくれました。
なんでも、正月に古本屋に行ったら、
自分が欲しい本の隣にあったからついでに買ったんだとか。
(推定価格100円)

その本は宮脇俊三さんの「時刻表おくのほそ道」
地方私鉄を訪ねる紀行文で、雑誌の連載記事を後でまとめた本です。
最初に訪れるのは北海道の鉄道なのですが、
同行した編集者の提案で、飛行機ではなく列車で北海道へ向かいます。
まだ青函トンネルが無かった頃で青函連絡船に乗るのですが、
宮脇さんは乗船時にこんな事を言います。

「やっぱり北海道へ渡るには、これでなくちゃいけない。
あと3時間もすれば函館が見えてくる。
こういうふうに徐々に接近して行くのが北海道への礼儀です」

私も、函館へ行く時はいつも夜行列車でした。
単純に「列車が好きだから」というわけではないのですが、
どうしてもそうでなければならないと思いつつも、
なぜかと問われれば答えられませんでした。
なんだか宮脇さんが答を教えてくれたみたいでちょっと嬉しいです。

昨年は出張でよく飛行機に乗りましたが、
北海道へ行く機会が無くて良かったと思います。
どたばたと慌ただしく到着し、がたがたと気忙しく仕事をして、
用が済んだらとっとと帰る‥‥。
そんな事をしたら自分にとっての「聖地」が荒らされてしまう気がします。
でも、帰りぐらいは飛行機にしても罰は当たらないかも。
滞在時間も長くなるし‥‥と少々軟弱な考えも無くはありません。

23:15 | カテゴリー:のりもの

2006年1月 1日

零戦人生

太平洋戦争については、自分なりの歴史観を元に総括したいと以前から思っています。
というのも、小・中学校時代に聞いた戦争の話が、
どれもこれも戦争に対する嫌悪感ばかりが強く、後味の悪いものだったからです。

今考えれば、反戦を強要するような教育は洗脳と同じで、
明らかに間違った反戦教育です。
戦争に対し否定的な意見を吐く者は「非国民」とする軍国主義時代の教育と、
本質的には何ら変わりません。

私のような戦争を知らない世代は、
過去の戦争について事実をできる限り詳細に知り、
そこから自分で結論を導き出さねばなりません。
(恐らく多くの人は戦争に否定的な意見を持つでしょう)

丁度大晦日にNHKで零戦の番組を放映していたので、
改めてそんな事を考えてみたのです。

零戦といえば、太平洋戦争の緒戦における高い戦果や、
「積乱雲と零戦は避けてよい」という米軍の命令などが有名です。
反面、運動性能を高めるための極端な軽量化のため機体の強度が低く、
防御力や急降下時の速度において米軍機に劣っていたことも、
零戦の弱点としてよく知られています。

さすがに設計陣は零戦の欠点をよく理解しており、
海軍に対し何度も改良の提案をしたそうです。
しかし、重量の増加や弾薬搭載量の減少を伴うため、
戦闘力の低下につながるとして受け入れられなかったそうです。

メーカーから欠点を指摘され、戦闘能力を落とす提案を受け入れるのは、
海軍のプライドを著しく傷つける事だったのかもしれません。
しかし、結局それが航空機部隊の壊滅を招き、
敗戦へと繋がっていったわけです。

小・中学校時代には成績優秀で難関高校に入学できたものの、
その後は意地を張ってばかりで、
卒業後は暫く今で言うところのニートになっていた自分と
何だか似ている所があるような気がします。

大上段に構えて偉そうな事を言ってみたところ、
棚に上げてあった自分の欠点が発覚。
歴史を学ぶことの大切さを知った年末でした。
前回、12月26日の記事で、自分の欠点と向き合えない話をしましたが、
新しい年を迎えるに当たって早速一歩前進。めでたしめでたし。
(こんな調子でいいのか?)

22:43 | カテゴリー:のりもの