« 2005年11月 | メイン | 2006年1月 »
2005年12月26日
日記をさぼる言い訳
さあ、2005年も残すところあと1週間です。
今、本屋さんへ行くと「マイブック」という本を売っています。
新潮社から発売されている文庫サイズの本なのですが、
各ページは隅に日付だけが印刷され、後は余白。
中身は自分で書いてください、というわけです。
表紙や扉には著者として自分の名前を書き込めるようになっています。
去年の暮れにこれを買って、今年の1月1日から日記を付け始めました。
後から遡って埋めた日もありますが、暫くは毎日続いていました。
しかし、2月17日で一旦中断。
3月1日から復活するも、わずか11日でまた中断。
5月上旬と下旬、そして8月上旬に数日ずつ書いていますが、
次は10月29日と30日。
そして今、この話をするために2ヶ月ぶりに開きました。
私の2005年は2ヶ月半くらいだったみたいです。
ものぐさということもありますが、
穏やかな気分で過ごしたい一日の最後の時間に
嫌な事は書きたくないじゃないですか。
今年はちょっとストレスが多かったみたいです。
3月に転職したからですかね。それとも出張が続いたからでしょうか。
どうせ非公開の日記、何を書いても差し支えないのだから、
この機会にしっかりと自分を見つめ直そうと思って書き始め、
最初のうちはそれができていたはずなのですが‥‥
まさか「自分に見せられない」とは思いませんでした。
なにぶん落ち込むといつまでも引きずる性格なもので、
欠点だらけの自分の姿を毎日確認していたら立ち直れなくなりそうなのです。
ということで、マイブックはもういいです。
来年は、毎日ではありませんが、
引き続きこのブログを更新していきたいと思います。
せめて皆さんにお見せできる部分だけでもこうして記録を残さないと、
どんなひどい1年になるかわかったもんじゃありません。
2006年もどうぞよろしく。
2005年12月23日
豊橋で道に迷う
愛・地球博の最終日が近付いた9月23日、
万博会場を出たのは夜9時頃だったでしょうか。
万博八草駅行きのバスになかなか乗れず、
金山駅に着いた時には、もう名鉄の豊橋行きはありませんでした。
JRの豊橋行きはあと2本。11時の新快速で豊橋に向かいました。
豊橋駅に着き、持参した地図を確認。
大体の見当でホテルを目指したら道に迷ってしまいました。
翌朝はまず豊橋公園の近くまで散歩。
市役所前から豊橋鉄道の電車で豊橋駅まで行きました。
一日名古屋で遊んで豊橋に戻り、今度こそまっすぐホテルを目指すと‥‥
何とそこは、祖母の家を通り過ぎてすぐの所でした。
豊橋市は愛知県南東部、静岡県との県境にあります。
名古屋からはJR東海か名古屋鉄道の電車で1時間ほどです。
私の母は豊橋市出身で、里帰り出産により私も豊橋で生まれました。
愛知県の宿がどこも万博で混雑する中、
たまたま豊橋に空いている宿があってこの日はここへ来たのですが、
せっかくなので買い物ついでに私が生まれた病院を見に行くことにしました。
驚いた事に、私が生まれた病院は墓地に‥‥
はて?
5月に豊橋へ来た時にはまだ病院は残っていました。
その跡地にたった4ヶ月でこれだけの墓地が展開されるはずはありません。
近くを歩き回ってみたのですが、結局見つかりませんでした。
次の日、ホテルをチェックアウトして、祖母の家の前を通りました。
前日の夜には無かったプランターボックスが家の前にあり、
鮮やかな赤や黄色の花が咲いていました。
朝の雑用を終えて、祖母はお茶でも飲んでいるのでしょうか。
ちょっと声を掛けて行きたいな‥‥と思いましたが、
そのまま豊橋駅へ向かいました。
後で母に聞いたら、私は病院のある場所を勘違いしていたようです。
やっぱりね。今度また見に行ってみましょう。
その時祖母の家の前を通ったら‥‥今度はどうしようかな。
2005年12月17日
函館で鬱を忘れる
クリスマスの3連休、久し振りに函館に行こうと唐突に思ったのですが、
丁度「クリスマスファンタジー」というイベントがあって混んでいるようです。
宿も交通機関も予約で出遅れてしまったので、今回はやめておきます。
‥‥というのは建前かもしれません。
どういうわけか函館は、辛い時の逃げ場なのです。
2000年夏、職場でのストレスに押し潰されそうだった私は、
唐突に函館行きを思い付きました。
本当はのんびりするつもりで出掛けたのに、
限られた時間で可能な限りの見所を巡るという慌ただしい観光に
なぜかゲームのような快感を覚えました。
そして2000年暮れ、もっとストレスに押し潰されそうになった私は、
今度こそボーッとするつもりで函館へ行きました。
連泊なのだから一日中ホテルにいても良かったのですが、
やっぱり今回も市内を歩き続けました。
人一倍寒がりなのに、粉雪のちらつく夜までも散歩に出掛けました。
2002年春、転職してパソコンメーカーに派遣されていた私は、
休日は「別の仕事」に首を突っ込んでいました。
ゴールデンウイークに「別の仕事」の一大イベントが予定されていたので、
その準備を進めていると、パソコンメーカーから休日出勤の要請。
泣く泣く出勤したら、ずぼらな私が過労で倒れました。
すぐに体調は回復したのですが、何だかばかばかしくなって、
休日出勤をすっぽかして函館へ行きました。
病み上がりなのにいつもより元気に観光していたのは内緒です。
2002年秋、私はまだ仕事を二股かけていました。
そのおかげで、昼も夜も、平日も休日もパソコンから離れられません。
そんな生活が嫌になり、いろいろな事を考えながら、
標高334mの函館山の頂上まで歩いて上りました。
気が滅入っていたはずなのに、どこにそんな気力があったのでしょう?
私の本名は、函館周辺に多い苗字です。
実際、我が家の先祖は函館に住んでいたそうです。
今は身内は住んでいないものの、私にとって縁浅からぬ土地ですから、
何となく波長が合うのかもしれません。
元来ものぐさな私が、函館では自分でも別人かと思う程の行動力を発揮します。
しかも、行くのは決まって鬱の時。
今回函館行きを取りやめたのは、まだまだそこまで疲れていないからでしょうか。
いくら混んでいても、宿も交通機関もその気になれば何とかなるものです。
もう少し頑張ってみましょうか。
クリスマスの3連休は予定が無くなってしまったので、
友人をデートに誘ってみました。
新宿駅で見かけた東京ディズニーシーの広告に
「誰の心も溶かしてしまう奇跡が起きるらしい」と書いてあったので、
「本当かどうか一緒に確かめに行こう」なんて言ってみたのですが、
断られてしまいました。
あーあ、やっぱり函館へ行こうかな。
2005年12月10日
思いは通じる
先日、所用で長距離のドライブをしました。
埼玉県の久喜から青森県の三沢まで600km余りを車で往復です。
出発は金曜の夜。東京の仕事場から直行です。
久喜へ戻るのは月曜の早朝。帰宅せずにそのまま出勤です。
辛いです。できれば新幹線か飛行機で帰りたいです。
久喜駅前から6人が1台の車に乗り、三沢へ向けて出発。
運転免許を持つ4人が交代で運転し、夜の高速道路を順調に北上しました。
私がハンドルを握っている間に夜が明け、
岩手県から青森県へ入ろうとする辺りで雪が降ってきました。
タイヤにチェーンを付けて、
雪がシャーベット状に積もった高速道路を慎重に走ります。
運転を別の人に替わってもらい、助手席に座っていた時の事。
疲れてうとうとしていた私がふと前を見ると、ガードレールが目前に迫っています。
パンッ、と音がしてエアバッグが開き、
車はくるりと回って追い越し車線で止まりました。
幸い、誰も怪我をしていないようです。
後続車もいなかったみたいです。
慌てて車を路肩に押し戻し、警察に連絡。
車内にいると危険なので、道路脇の非常電話の所に固まって救援を待ちます。
雪は、まだ降っています。
えらい目に遭いましたが、誰も怪我をしなかったのは不幸中の幸いです。
目的地には別の車で着く事ができ、帰りは念願叶って新幹線でした。
客観的には、良かったかもしれません。
しかし、人の車1台潰して、事故の法的責任は私になくて、
実は新幹線の切符も自分で買ったわけではありません。
私の勝手な願望が通じた結果がこれだとしたら、何と身勝手な‥‥。
思うだけなら勝手だと思っていましたが、とんでもないですね。
(でも日曜のうちに帰れてよかったです)
2005年12月 1日
未来
時々、今の自分の何気ない日常に「未来」を感じる事があります。
さっきまでYahoo!で「機動戦士Ζガンダム」を見ていました。
この番組がテレビで放映されたのは、もう20年も前。
当時は膝の上に乗る小さなノートパソコンでアニメを見るなんて‥‥
まあ、想像するくらいはできました。
(ガンダムの世界はもっと進んでいますから)
しかし、まさか自室の畳の上でやるとは思っていませんでしたね。
Ζガンダムが放映された1985年には、「科学万博」が開催されました。
その最終日、未来を垣間見た私は、帰りに電車に乗る前に友達とはぐれました。
さあ、ここで若い皆さんに質問です。
(若くない人が答えてくださっても結構です)
携帯電話が無かった当時、友達とはぐれてしまえば、
容易に連絡を取り合う事はできません。
あなたならどうしますか?
私の場合、駅の公衆電話から友達の家に電話をして、
友達のお母さんに事情を話しました。
友達が家に電話する事を期待したのです。
残念ながら、友達はそのまま家に帰ってしまったようで、
結局私は1人で電車に乗って帰ったんですけどね。
まだまだ未来は遠かったのです。(20世紀でしたから)
さて、「未来」になった今、誰もが携帯電話を持っています。
確かに、便利な事もありますよ。雑踏での待ち合わせとか。
楽しい事もありますよ。友達とのメールとか。
でも、こいつの電源が一日中入りっ放しなのは、何となく嫌なんです。
電車の中で着信があると、鬱陶しいんです。
「いつでも人とつながっていられる幸せ」のはずが、
「こんな物をいつも気にしながら生きていくなんて」になっています。
何だかね、「あっても無くても不便なもの」なんでしょうか。
まあ、未来はいつもバラ色とは限りませんから。
と、パソコンで見るアニメから始まった未来の話が
結局携帯電話に終始してしまいました。
それだけ生活に深く入り込んだ「未来の道具」なんですね。
今、私の目標の一つが、携帯電話のない生活です。
そんな未来が実現した時、次の「鬱陶しい未来の技術」は
何になるんでしょうね。ちょっと楽しみでもあります。